Medical Essay  NO.9

脳死判定後に、手足が動く現象が知られています。家族がびっくりして、「あっ!医者が誤診した。まだ、生きてるじゃないか!」と、誤解しないように、あらかじめ家族には充分な説明をすることが求められています。しかし、どの位の頻度で認められ、どのような現象が出現するのか・・・。従来、1/3とか70%とか言われていましたが、この疑問にprospective studyで答えた論文が出ています(Neurology, 54:221-223, 2000)。  

アルゼンチンからの報告で、1年半の間の38例の脳死患者を対象に調査。15例(39%)で自発あるいは反射性運動が認められた、と。脊髄性反射と考えられていますが、認められた現象は、
undulating toe flexion sign
triple flexion response
Lazarus sign (肘を屈曲させたり、肩関節を内転させたり、腕を持ち上げたり、手がジストニア様姿勢をとったり、手を交叉させたりする動き)
pronation-extension reflex
facial myokymia
これは1980年頃から清水将之先生が提唱されていた概念で、「一流大学を卒業し、一流企業や中央官庁に就職を果たしながら、切実な理由や目的もないのに離・転職を企図する一群の青年たちの思考様式ないし行動パターン」(臨床精神医学, 14:719-721, 1985)具体的な性格の特徴として、
1). 新人としての謙虚さがなく、尊大ですらある(幼児的万能感)、
2). 他者との協調性が欠けている、
3). 忍耐力が乏しい、
4). 常識の乏しさないし状況判断の鈍感さ、
が挙げられているそうです(小児科診療, 56(Suppl):357, 1993)。原因としては、母親の子に対する幼児期からの過干渉と父親の指導性の欠如がその子の第二の自己主張期をつぶし、自己の同一性を確立する機会を奪ったため、と。  

ただ、正確には2重の意味で、この症候群の名称は不適切なのかもしれません。一般にメディアで使用されるときのイメージも、「どこかにきっと良いことがあるに違いない」と現実から逃避して夢を追うイメージが強いように思われます。チルチルとミチルが世界中を青い鳥を捜して苦労して帰ってきたら、なんと自分のうちに青い鳥がいたことを発見するのですね。「本当の幸福というものは、夢のような空想的な遠くにあるのではなく、つつましい生活の中にこそ発見できるものである」(五木寛之「四季 亜紀子」集英社)という教訓である、と一般には言われています。  

ご存じのように、青い鳥の原作はメーテルリンクの子供向けの戯曲ですね。筆者は原作を読んだことはありませんが、五木寛之さんは一般に理解されているエンディングは原作とは異なることを、繰り返して小説などで紹介していらっしゃいます。原作では、折角見つけた青い鳥はかごから逃げていってしまうのです。チルチルは最後に観客に向かってこう言います。「僕たちの青い鳥は飛んでいってしまいました。でも、人間は、青い鳥がないと暮らしていけません。だから、どなたかあの鳥を見つけた方は、僕たちに返してください。人間には青い鳥が必要なんです。」なんという残酷な結末でしょう。五木さんはこうまとめていらっしゃいます。「人間はいつか真実に気がつくときがくる。けれども、真実に気がついたときにはもう遅いのだ。」(五木寛之「四季 亜紀子」集英社)少年少女向けのドラマにしては残酷です。メーテルリンクが何を意図したのかは解りませんが・・。  
なんていう漫画がありましたが、亀にもプリオンがあるんですねえ(FEBS Lett., 469:33-38, 2000)。哺乳類以外ではニワトリやアヒルでも報告されています。亀とほ乳類の類似性は40%。亀は長生きするのかもしれませんが(本当かどうか知りませんけれども)、これだけ違うと患者からの伝達実験には使用できませんね。プリオンがあるからといって必ず自然発症しなければいけない理由はありませんが、ニワトリのプリオン病なんてないんでしょうねえ。ま、ヒツジやサルと違って、眼球や脳を生では食べないでしょうが。
以前、さるお方がなんちゃら抗体やなんちゃら酵素を測定する目的で、外来主治医に断らずに、大学の中央検査室で他の科の若い内科医が検体を無断で集めて、自分の研究用に測定したことを非難されたことがありました。その時に問題とされたことは、患者のプライバシーやインフォームド・コンセントではなくて、主治医に無断だったことと、そんなもの測定したってどれほどのものか、というニュアンスがあったように思います。研究をするなら基礎へ行ってやれ、臨床ではがむしゃらにベットサイドで働け、そんなニュアンスがありました。臨床医の発想や臨床医としてのアイディアは研究には不要でしょうか?臨床片手間の研究なんて、どうせやっても大したことない、臨床も研究もどっちも中途半端に終わるだけだ、という非難が臨床医の中からさえ出てくることに違和感を持ちます。臨床をやりながらというのは確かに大変で、なんでこんなことしているのか、と思うこともありますが、やはり楽しいからでしょう。

若い研究者の中で、研究をしても応分の利益が得られないならやる気が起きないという非難を聞いたことがあります。仕事をしたなら、それなりのポストを早く用意するべきだ、と。資本主義経済では、確かに商品の対価が得られますし、マルクス経済学でさえ、商品の利益の多くは資本家に搾取されるとはいえ、労働者はそれなりの賃金は要求するわけで、喜んでただ働きする労働者はマルクス・エンゲルスには理解の他でありましょう。が、インターネットの時代に資本主義経済の申し子みたいなマイクロソフト社を脅かすとんでもない現象が起きています。リナックスというコンピューターのOSがあります。制作者のヘルシンキ大学の学生が内容を公開したので、世界中で修正され、あっという間にwindowsに次ぐ世界標準に進化し、今や業界が無視できない存在になっています。単一の企業ではとてもかなわない数の技術者が、ボランティアで参加したことによります。企業にとっては、ただ働きする技術者の存在は驚異だったようです。なぜ、労働の対価なしに彼らは働くのか、と。「面白さはただのお金よりずっと優れたにんじん。喜びが資産。楽しみが能率を上げる」と分析している方もいらっしゃるようです。「最も貴重で、高貴な人間の財産は、名誉、喜び、愛情、他人に対する敬意で、それらは市場で取り扱われてはならない。そうでないと社会は根底から揺らいでくる。」そう分析する経済社会学者もいらっしゃるようです。市場経済主義一本槍ではもはややってはいけない、そう主張される方もいらっしゃるようですね。  

たとえ直ちに労働に対する対価が保証されなくとも、楽しいからやるという姿勢は上司に利用されるだけの価値観でしかないのでしょうか?(なんか、自立した女性は、男にとって都合の良い女になってしまうのではないか、という議論に似てるのがおかしいですね)筆者はそうは思わないのです。リナックスよりは、はるかに研究者の世界は狭く、必ずしも自分が求めるレベルとは一致はしないかもしれませんが、それなりに評価は受けられるとは思うのです。日本的な学閥や出た杭は打たれる、といったことはあるにしても・・。
筋線維には酸素を必要とする代謝に頼っている遅筋線維と無酸素代謝で営んでいる速筋線維とがあって、前者は長距離走や自転車、水泳など持久力が求められる競技に重要で、後者は重量挙げや短距離走など瞬発力が重要な競技で大切なんだそうです。大腿四頭筋では平均的な健康成人では遅筋線維と速筋線維の割合はだいたい同じですが、個人差が激しいそうで、世界レベルの短距離走者では大部分が速筋で、マラソン選手では遅筋が大部分。麻痺すると、5-10年でほとんどが速筋で占められるようになるそうですが、電気刺激で筋運動を誘発させることで、遅筋型のミオシンを再発現させられるそうです。短距離走者がトレーニングすると、速筋型のミオシン・アイソフォームが9%から2%まで減少し、3ヶ月後にトレーニングを中止すると更に3ヶ月後には速筋型ミオシンが18%まで急激に増加する現象が認められる、と。これらの変化を筋生検で証明してますが、凄い研究です。実際、選手たちは大会に備えて体調を整える際に、ある時期に練習量を落とす期間を設けるんだそうで、経験的に身につけたこととはいえ、学術的な根拠もあるようです。ですから、ある程度短距離向けのランナーを作ることはできるようです。  

遅筋を速筋に変えることはできても、逆にも可能であることを示した研究報告はないんだそうですね。つまり、短距離走者向きの筋肉をトレーニングで人工的に作り上げることはできても、マラソン走者は難しいようで、自転車やクロスカントリースキー選手も生まれながらに遅筋が多い選手がスターになれるようです。  

オリンピックなどでは常にドーピングが問題になりますが、薬物ではなくて遺伝子治療をやるようになると、実質的にはチェックできなくなる可能性が指摘されています。 (日経サイエンス、30(10):22-31, 2000)  

オリンピックが近いせいか、ナショジオでも「人間の体力」と題して運動能力の限界に挑む現状が報告(ナショナルジオグラフィック日本版, 6(9): 38-73, 2000)。運動前後で筋のMRIを撮ると、おそらく乳酸が蓄積することで筋が黄色く変化し、鍛えられた筋では青いまま。運動選手は、筋のミトコンドリアが増加し、腸骨近くの動脈の直径が運動しないヒトの倍の12ミリと太くなり、最大酸素摂取量(運動中に体が取り込める酸素の限界値; ml/kg/min)も倍の76に増加。筋肉が疲労しないようになっているんですネ。サッカーの井原選手やバレーボールの中垣内選手など日本人選手の筋のMRI断面図も紹介されていますが、皮下脂肪がないのはもちろんですが、筋の断面積が大きく、足が筋だらけ。筋力を評価する方法として、MRIが利用される見通しなんだそうです。  

この本の質問コーナーに面白いことが書いてありました。ライオンと虎の混血は野生ではないが人工交配で誕生しているそうで、ライオンの父と虎の母から生まれると「ライガー」と呼ばれ、逆だと「タイゴン」と。雌のライガーがライオンと交配可能。  

海が塩辛い理由は、岩に含まれた塩が溶けだして川から海へくるルートと、海底火山の噴火で塩分が流れ出すためなんだそうですネ。
rare caseのa case report and the review of the literatureが無駄とは言いませんが、稀な病気しか症例報告できないと思っている若いお医者さんはいませんか?あるいは、抗体や酵素、遺伝子など、なにか形あるものを見つけないと症例報告にはならないと考えてはいないでしょうか?もちろん、そういうことも大切で、何か発見できれば英文で症例報告もできましょう。が、そういうことしか興味がないとしたら、一般の日常診療は随分さびしいものになることでしょう。ありきたりのcommon diseasesの中でもWhat's new ?と問い続ける診療行為の中から、診断や病因、治療に関した新しい発見や工夫をすることが大切だと思うのです。たとえ1例であっても、単なるclinical observationであっても、将来の研究のideaになるようなきっかけになるかもしれないからです。そういう姿勢が臨床の面白さでしょうし、日々の診療の面白さだと思うのです。
滋賀医大・生理学の名誉教授、横田敏勝先生が平安時代の「病草紙」や泰西名画を題材に、医学・医療を論じた本が南江堂から出ています。女を相手に碁を打つ男の手がわなわなと震えている絵の解説では、振戦であろうとして、断定はしていらっしゃいませんが多発性硬化症が疾患候補の第一番に挙げられています。ついで、パーキンソン病、本態性振戦。MSが第一番なのは、「ひとみつねにゆるぎけり」と眼振があることから。ちょうど碁を盤に置こうとして手が震えているので、企図振戦であろうというわけです。MSがいつから我が国で存在しうるかは推定する根拠も持ち合わせませんが、MS susceptibilityというgenetic backgroundは関与しますから、遺伝子自体は古くから我が国に存在はしているでしょうが、自己免疫疾患はある意味では先進国病であり、平安時代からあったというのは少し無理があるのではないでしょうか?動作時振戦はパーキンソン病で出現しても良いですが、眼振はちょっと変。ならば、脊髄小脳変性症はどうでしょうか?どのタイプなら平安時代でも存在しうるのでしょうか?  

「鬼の霍乱」(おにのかくらん)という言葉がありますね。霍乱というのは夏に起こる、激しい下痢、嘔吐をともなう疾患のことだそうで、元気だった人が珍しく病気になることを言いますね。細菌性食中毒のことであろう、と。  

排尿・排便の際に使用するオマルの漢字ってご存じでした?なんと(!)「御虎子」と書くんだそうで、「送糞る」と書いて(くそまる)と読むんだそうで、これがオマルの語源。  陰毛の医学英語は辞書によってさまざまだそうで、pubes, pubic hair, pubis, pl. pubesなど。pubisはmont de Venus (ヴィーナスの丘)の意。解剖学用語は陰毛ですが、ドイツ語のdas Schamhaar, pl. die Schamhaareに通ずる響きですが、ドイツ語からの連想で、shame hairのつもりでsham hairと発音すると、つけ毛(false hair)ととられてしまうかもしれない、と注意を喚起していらっしゃいます。  

ヒトで鍼を打つ際に局所麻酔薬を浸潤させると鎮痛効果が失われる。対麻痺や片麻痺患者(麻痺部位?)に鍼を打っても鎮痛が得られないそうです。  
左右非対称の女性を描くようになったのは、ピカソが顔や部屋が縦に割れる視覚異常を呈するタイプの片頭痛に罹患していたためではないか、という説がオランダから出たそうです。ほんまかいな?(新潟日報, 2000年9月5日付け朝刊より)
カフカス山脈の鍾乳洞で発見されたネアンデルタール人の肋骨からmtDNAを現代人と比較検討した結果、両者間にはかなりの相違があり、ネアンデルタール人は新人類と交代したのであって現代の人類の遺伝子プールに全く寄与していないことが判明(Nature, 404:490-493, 2000)。このことは、私たちはネアンデルタール人を祖先にしてはおらず、ほぼ60万年前に共通の祖先から分岐し、現代型人類はアフリカで生じたとするアフリカ起源説と一致するんだそうですね。数千年間にわたって、ほぼ同じ地域に共存していたにもかかわらず、混血しなかったと言うことは何を意味しているのでしょうか?少なくとも、現代の人種間格差より大きな溝があったようです。現代人とゴリラみたいな関係なのでしょうか?家畜にでもしていた?あるいは、食糧?!(1994年米国映画「フリントストーン モダン石器時代」では、主人公はネアンデルタール人とボーリングをしてましたが。この映画では、主人公の義母としてエリザベス・テーラーが出演。)  

日経サイエンス2000年7月号では、混血したのではないかという説を紹介。ただ、こちらは骨格の類似性などからの推論。(K. ウオン「消えたネアンデルタール人の謎」p.72-82)
指揮者によっていかに演奏が異なるか、演奏時間だけでも随分違うことを、手持ちの上記シンフォニーのCDでご紹介しましょう。
指揮者・ 楽団 録音年 第1楽章
(分.秒)
全曲演奏時間
(分.秒)
フルトヴェングラー
ウイーン・フィル
48  6.53 24.07
トスカニーニ
NBC交響楽団  
50 7.20 22.47
ワルター
コロンビア交響楽団  
59 6.37 25.33
ベーム
ウイーン・フィル 
77 8.53 27.02
バーンスタイン
ウイーン・フィル 
84 8.33 30.54
岩城宏之
オーケストラ・アンサンブル金沢 
91 8.01 30.47
ヴァント
北ドイツ放送交響楽団  
94 8.17 25.16
チェリビダッケ
ミュンヘン・フィル 
94  5.51 24.11
面白いのは、あのゆっくりと演奏することで有名なセルジュ・チェリビダッケは何故かこの曲では速いのです。ヤング・チェリビダッケではなく、1994年の録音で現役でマエストロとして急死したフィルを指揮したにもかかわらず、です。第1楽章と全曲の長さは相関しません。  

この他に以下のCDも持ってますが・・・。
コープマン
アムステルダム・バロック・オーケストラ

7.03 31.20
アーノンクール
ヨーロッパ室内管弦楽団

7.42 35.29
ブリュッヘン
18世紀オーケストラ

7.02 28.33