Medical Essay  NO.7

笹原に群棲するベージュ色のカバキコマチグモには神経毒があるんだそうで、マウに静注すると、弛緩性麻痺、呼吸困難、痙攣を起こして数分で死亡するんだそうです。ある人が咬まれた半年後にパーキンソニスムになったんだそうで、さて、蜘蛛でパーキンになりうるか、という質問が醫亊新報に出ていました(醫亊新報, 4011:113-114, 2001)。蜘蛛にMPTP類似物質が含まれているかどうかは不明で、因果関係も不明、と。が、今後気をつけてみても良いかもしれません。夏山登山で蜘蛛に咬まれて激痛を経験したことがあるか、次の正月頃から動作緩慢が出現してはいないか、と。
丸谷才一さんによる「あいさつ」シリーズ第2弾が朝日新聞社から出ています。いくつかの興味深いエピソードが出ていましたので、ご紹介します。  

米原万里さんはロシア語通訳の方で、本誌でもご紹介したことがありますが、エッセイストとしても面白い文章をお書きになります。やはりロシアものが面白く、ロシア国内で評判になっているジョークなんてもう最高。さて、丸谷さんによれば、米原さんは井上ひさしさんの奥様ユリ夫人(最初の方ではなくて、現在の方)のお姉さまにあたる方だそうです。  

中野好夫門下の代表は、木下順二と小津次郎だそうですが、伊勢松坂には小津家があり、江戸時代から富と教養で知られていた一族なんだそうですね。小津家の有名人としては他にお二人いらっしゃるそうで、お一人はご年輩の方は想像がつくと思いますが、古き時代の日本映画を代表する小津安二郎監督(さすがに、筆者は見たことはありません。俳優の笠さんは好きでしたけどね。「男はつらいよ」シリーズではありませんが)。  

もうお一人はどなたかお解りでしょうか?日本史の歴史教科書にはどんな検定本でも(確認はしてはいませんが、家永教科書にも「つくる会」の教科書にも)、江戸時代の有名な学者として出てくるはずです。菩提寺の和尚さんが客寄せのためでしょう、説法のついでに赤穂浪士の続き物の話をしたんだそうですね。12歳くらいの子供が部屋の隅で居眠りをしていて、大人たちからバカにされていたんだそうですが、その子は帰宅後に正確に和尚さんの話を書き起こしていて、大正になってから発見され「赤穂義士伝」として紹介されることになったとか。さて、この子どもは誰でしょう?本名は小津弥四郎。解答は本誌の最後に。  

丸谷さんが「女の青春というものは・・・」と言いかけたら、養老孟司先生が「女には青春はありません。男の一生には、幼年、少年、青年、中年、老年というふうに分節化されているけれども、女の一生はそういうことはなくて、彼女たちはのっぺらぼうなじんせいを生きている」んだそうですね。コメントしません。私じゃありませんよ、養老教授のお言葉です。責任は持ちません。  

最後に丸谷さんと井上ひさしさんの対談が掲載されていて、意外にも巻末の解説なんかよりははるかにこの本の解説になっています。そのなかで、挨拶の極意ともいうべき指摘がされています。
1). 挨拶の最初に、こういう資格で、こういう立場で話をするのだと短く表明する。長すぎてはいけない。紹介する司会者がそこまで喋ってしまうと、あいさつする内容がなくなってしまうので、司会者の紹介は簡潔に。
2). 一般論、抽象論は禁欲的に避ける。具体的にエピソード、ゴシップを紹介することが挨拶の教則。
3). 弔辞は送られている人の伝記になっている。  
これらの点から、丸谷さんの挨拶は絶品である、と 

解答は本居 宣長です。
の存在は広く信じられていますが、プラセボを用いない「無治療」と「プラセボ」が臨床試験の評価項目に与える影響にはほとんど差がないとする研究結果が、New England Journal of Medicine(NEJM)誌5月24日号に掲載。「プラセボ群」と「無治療群」を含む無作為割り付け試験をメタ分析した結果。1955年に米国Harvard大学のH. K. Beecher氏が、プラセボ効果を検証した論文「The Powerful Placebo」(JAMA;159,1602,1955)を発表して以来、自明のもののごとく捉えられてきた同効果に疑問符を突きつける形に。「一般的に、プラセボにはほとんど臨床的な作用はない」と結論し、「適切にデザインされた対照試験以外ではプラセボを用いるべきではない」と勧告。(日経医療ニュース, 2001.5.25より)ふーん!?  
塩野七生さんの知性あふれる「ローマ帝国の歴史」入門書とも言うべき本が文藝新書から出ています。  

ギリシャの都市国家アテネの政治家、ペリクレスはこう言っているそうです。「貧しいことは恥ではない、だが、貧しさに安住することは恥である。」この考え方で機能してきたローマ帝国に、貧しいことは善であるというキリスト教の思想が入ってきたことで、価値観が動揺してしまったのでなないか、と。一般論としては、病院であれ、大学の医局であれ、組織の持つ原則のような気がします。

マキャベリは、ある事業が成功を維持できるかどうかは、その事業に参加する全員が何らかの利益を取得し続けることができるか否かにかかっている、と述べているそうですが、これも組織論としては検討の価値はありそうに思います。とは言っても、この条件は結構難しいですが。  

ドキッとする文章もありました。2つご紹介します。  

ローマ帝国の防衛基地であったウイーンで、こんな想像図を見たことがあるそうです。獣の皮を身にまとい、弓矢を手にして川岸に立っている男を後方から描いた絵で、男に眼はドナウ川の向こう岸でピクニックをしている男女にじっと注がれている・・。食べるものがなくなったときにどうなるか・・。平和とは、持てる者にとってのみ最高の価値があるということを、この図は私(塩野)に教えてくれた、と。  

ある民族が他の民族を支配するのが〈民族帝国〉であり、支配者と被支配者が渾然一体になってしまうのが〈普遍帝国〉で、〈普遍帝国〉は歴史上ローマ帝国でしか可能ではなかったが、その理由は多神教だったから。大日本帝国時代、多神教の民であることを忘れ、一神教のように振る舞ったことが植民地統治の失敗だったのでは?と。
元・日本原子力研究所の研究員、高嶋哲夫さんという方の本で、宝島社から出ています。比較的新しい本。中東の洞窟から採取された野生株を元に、遺伝子操作で作製された石油精製菌の物語。一挙にエネルギー問題を解決するかに見えるアイディアですが、原子力発電もからめて、石油メジャーやOPECも参加して展開してゆきます。今後のエネルギー問題について、明確な方向性を示唆しているわけではありません。作者の立場から予想されるように原発容認派ですが、欧米で原発が後退している現状は、単に政治家が環境保護の時流に流されているだけなのでしょうか?欧米のエスタブリッシュメント達自身が、すでに危機意識を持ち始めているのではありますまいか?  

「ミッドナイトイーグル」(文藝春秋)高嶋哲夫さんの受賞直後の傑作。北アルプスに墜落したステルス爆撃。何故墜落したのか。そこには何が積まれていたのか。米国・北朝鮮・中国をめぐる国際政治を背景に、非核三原則を国策とする日本で、東アジアの軍事バランスを崩すようなテロが発生します。それに対して、報道カメラマンや記者たちが何が起きているのかを報道しようと挑戦します。また、北アルプスと東京と離れた地で、かつて夫婦だった男と女のラブストーリーが、エンディングへ向けて少しづつ熟してゆきます。北アルプスと東京の別々の事件として始まった物語が急速に集約されてゆき、それにつれて二人のわだかまりが溶けてゆく筆力はうまいです。最後にカメラマンは失った家族を取り戻します。猛吹雪の中、全滅してゆく自衛隊。最後に生き残った隊員とカメラマンたちが、日本を守るためにとった行動とは・・・。映画のような完成度の高いエンターテインメント。映画「ハルマゲドン」を連想させるエンディングには泣けます。  

「冥府の虜 プルトーン」(祥伝社)では、高速増殖炉とプルトニウム奪取をめぐるサスペンス。東大核物理学教授がテロリストを相手に警察庁管理官とともに闘う、という非現実的な設定ですが、大都市近郊で核ジャックが起こったら対応できるのでしょうか。後者のキャラは魅力的で、こちらを主人公にしたシリーズ化も面白いように思います。  

「イントゥルーダー」(文藝春秋)1999年第16回サントリーミステリー大賞と読者賞をダブルで受賞した作品。生前は会う機会のなかった息子の軌跡を追う中で浮かび上がる覚醒剤売人疑惑。息子を信じて調べてゆくうちに、霧の中から原発がらみの企業犯罪の臭いが出てきます。活断層が通っている上に建設されたという、六ヶ所村の貯蔵用プ?ルを連想させます。著者は米国留学後、研究生活を続けずに学習塾の経営を始めた方。研究生活を辞めたことやこういう小説を書いた動機は、企業や政治家との絡みで、原子力を巡る環境がゆがめられてゆくことへの危機感もあったのでしょうか・・・?コンピューターも絡んでくる話。少しずつ主人公の父性が深まってゆく筆力はすごいです。これは力作です。
20世紀に起こった大きな地震のベスト10は、
1. Chille,     1960    9.5 Magnitude
2. Alaska,    1964    9.2
3. Russia,    1952    9.0
4. Ecuador,   1906    8.8
4. Alaska,    1957    8.8
6. Kuril Islands, 1958    8.7
6. Alaska,     1965    8.7
8. India,      1950    8.6
9. Chile,      1922    8.5
9. Indonesia,   1938    8.5 (USA Today, 2001.4.5より)  
日本は入ってはいませんでした。残念とは思いませんが、意外な感じ。アラスカってすごいっすネ。1950-1965年の15年間って、地球は揺れ動いていたんですね。
内田幹樹さんというANAの元パイロットで、サントリーミステリー大賞を受賞されたこともある方がお書きになった、見出しのような題名のエッセイが原書房から出ています。  

パイロットとフライトアテンダントの仲は、医者と看護婦の関係ににていると誤解されているそうで、国際線の場合、海外で何泊かしても、泊まるホテルは違うし、概ね飛行機を降りると別行動だそうです。組み合わせがしょっちゅう変わるので、親しくなる機会も少ないし、「初婚の場合は」職場結婚も少ない、と。再婚の場合は多いそうです。医者と看護婦の場合は、常に一緒に仕事をしていますし、んーん、世間の評価は正しいかも・・確かに職場結婚も多いですねえ。  

定常飛行のみならず、着陸でも自動操縦でおおむね可能になっているんだそうですが、どうしてもコンピューターではできない仕事があってパイロットが必要なんだそうですね。それは、離陸。機械ではどうしてもそのまま飛び立つか、離陸動作を中止するかの判断ができないんだそうです。  

飛行機にはご存じのようにライフジャケットが備えられていますが、救命ボートもあるんだそうですね。ところが、実際にこれらを使用できるのは、離着陸時の事故で空港近くの海に着水できる場合に限られ、少しでも波のある海では、コンクリートにたたきつけられることになってまず助からないだろう、と。しかも、空港近くでも救命ボートが助けに来るのは、羽田で墜落したときでも30分かかっているので、冬なら絶望的ですね。恐い話はもっとあって、先日、ハイジャックに刺されてパイロットが死亡しましたが、羽田に戻らずに米軍横田基地に着陸していたら助かっていただろうと言うのです。というには、日本では空港の中を救急車が自由に走ってはいけないんだそうです。  

飛行機の安全神話はあるようなないような、みなさん、信仰のように信じていますが、実際は世界中で平均して1年間に20機程度の定期旅客機事故が起きているそうで、年間の犠牲者は全世界で500-800人だそうです。意外に多いと思いません?航空安全財団(FSF)では、毎年、この地区ではこういう飛行機が何機事故を起こすという予想を公表していて、大体当たっているんだそうです。そんなの聴いたことあります?新聞で見たことあります?
Internetで発見しました!Flight Safety Foundation(http://www.flightsafety.org/)のことだと思います。  

以前、本誌で太平洋路線を1年に何回か搭乗したら、被爆量を超える危険があることをご紹介しましたが、極地を通過する際には長袖を着ろとか、ホテルに着いたらチリを落とすためにすぐにシャワーを浴びろとか、言われているそうです。客は回数が少ないから良いのか?

格安航空券が随分出ていますが、事故が起きた際には航空会社の国籍の法律が適応されることに留意すべき、と。物価の安い国は命の値段も安いわけですね。日本の航空会社の対人保証は無制限なんだそうです。また、安くするには削れる費用は限られているので、乗務員や整備士の訓練回数や時間を短縮するしかない、と。ま、事故が起きたら、もうダメという意味では、整備士の技術レベルは維持してもらわないと困りますが、フライトアテンダントにはあまり期待しても・・・。  

YS211はパイロットには性能が悪く評判が悪かったようですね。国産がうりだったはずなのですが、窓のワイパーすら米国製で、ほとんど国産の部品はなかったそうです。意外。  
堀場製作所会長の堀場雅夫さんの近著「仕事ができる人できない人」(三笠書房)を読みました。当たり前のことばかりのようにも思いますが、いちいち納得のお言葉が並んでいます。改めて頭の中を整理し、来し方行く末などを鑑みるに良い本かと存じ上げ奉ります(誰に?)。

さて、こんな言葉も。「運は努力の先にあって、それを手にすることができるのは、努力した人間だけである。」逆に、こんなに努力したのに・・・と言って、報われていないと不平不満を言うヒトはペケ。仕事は楽しくなきゃあ。胃を痛めながら努力をしなければならないのなら、職場か仕事を変えるべきでありましょう。ま、努力をしたと他人から思われるほど、楽しみながら仕事をしたヒトに運が手に入る・・・かな。  

「アリの理論」という有名な言葉がありますね。以前、天声人語か何かにも出ていたことがあり、本誌でも紹介したことがありますが、ここでも紹介されてました。組織というものは、必ず一定の割合で、一生懸命に働く奴とさぼる奴が出てきて、よく働くアリだけ集めて集団を形成しても、やはりさぼるアリが出てくる・・・。公務員だけではないのですなあ。
逆は真ならず。とうとう入手しました。伊丹へ向かうリムジンバスの停留所があった丸ビル(でしたっけ?)近くのビルの地下にあった、Tower Recordで捜していたLDを見つけたのですが、13000円位もしてさすがに諦めたことがあります。もう、LDを生産していなかった時期で、安売りしてもおかしくはなかったのですが・・・。チェリビダッケ指揮、ミュンヘンフィル演奏によるうわさのドヴォルザークの「新世界より」のビデオをTower Record渋谷店で発見(2001年の記述です)。美しい!特に、第二楽章のクラリネットのソロはチェリ様晩年(1991年)の恐ろしくゆったりしたスピードなので(第1楽章の繰り返し部分がないにも関わらず、演奏時間が53分!)、息継ぎが大変。一体、このソリストの肺活量はどうなっているのでしょうか。「クラシック奏者は体育会系でないと勤まらない」筆者のクラシックに関する第2のテーゼであります。第1のテーゼは、以前、本誌でジャケ写についてご紹介しましたが、「クラシックの女性ソリストは、グラビアギャルでないとCDを出せない」です。そう言えば、諏訪内晶子さんがメンコン/メンチャイのカップリングCDを2月に、アシュケナージ指揮・チェコフィルとの共演で出しましたが、レコード会社が契約しているスタイリストやメークさんはどうしてこうもチーママ風おミズ系にまとめるのでしょうか。サイトウキネン・オーケストラのヨーロッパツアーに参加したときも、NHK交響楽団のおじさま方の膝の上を腰掛けて回るという、作曲家が指定した音を出さないで動作で示す「カデンツア」を披露した際にも、普通の格好でしたが・・・。それとも、パリで過ごしているうちに、イメチェンしたのでしょうか・・・。(発売1ヶ月もしないうちに、10万枚というクラシックとしては大ヒットになってそうです。いちいち視聴してから購入する人は少ないでしょうから、あのお嬢様がこんなにも妖艶に、という「ショック」をおこすジャケ写がきいたのでしょうか)