Medical Essay  NO.18

宇宙ステーションができて、長期間無重力状態で生活しますと、いろいろな影響が体に出てくることが予想されます。特に、免疫機能は体の感染症に対する抵抗力を考慮する上で、重要でしょう。無重力状態では、免疫機能が抑制されるようです(Sonnenfeld, G.: Immune responses in space flight. Int. J. Sports Med., 19:S195-S204, 1998)。宇宙では、遅延型過敏反応、インターフェロン産生、NK活性いずれも低下するそうです。免疫グロブリンは増加するそうですから、宇宙ではTh2 dominantになる?(マウスと異なり、ヒトの多くはTh0と言われ、マウスのような議論はできないと言う批判はありますが・・)じゃあ、重症筋無力症は宇宙では増悪する?NKT活性はまだ解っていないのかもしれません。ウイルス感染に対する抵抗力や好中球機能はどうなるんでしょう?宇宙ステーションが自転して重力を作れるようになりますと、また変わるのかもしれません。
1957年11月当時のソビエト連邦が初めてライカ犬を乗せた宇宙ロケットの打ち上げに成功、と村上春樹さんの「スピートニクの恋人」(講談社)に出てきます。勿論、回収はされなかったので宇宙空間に出た最初の生物という栄誉を担ったものの、宇宙空間での最初の犠牲者?に。小説の中でこんなくだりが出てきます。「宇宙の闇を音もなく横切っている人工衛星。小さな窓からのぞいている犬の一対の艶やかな黒い瞳。その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったい何を見ていたのだろう?」何となく、無重力状態でじっと故郷の青い地球を小さな窓から眺めているライカ犬を想像しますが、ちょっと変ですねえ。実験の詳細を筆者は知りませんが、打ち上げる際のGを考えますと、麻酔しないまでも、犬は固定されていたのではないでしょうか?そもそも宇宙で本当に短時間でも生存していたのでしょうか?生きていたことを確認できる技術が当時あったのでしょうか?水はどうしたのでしょう?食糧は?ひどく過酷な実験のようであります。現在の実験動物取り扱いマニュアルからは、外れているように思われます。当時、動物愛護団体はなかったのでしょうか?ソビエトにはなくとも、英国や米国にはあったでしょうに。政治問題にならなかったのは、それどころではなかったからかもしれません。としたら、40年前よりは良い時代にはなっているということでしょうか。
お二人は恋人同士だったらしい、と(丸谷才一さん「どこ吹く風」講談社)。ローランサンって、あのパステル調の絵を描いた方ですよ。すみに置けない人ですねえ。森鴎外を思い出しました。昔のじっちゃんは(勿論、若かった日のことでしょうが)、しゃれてたんだあ(いや、手が早かったのか・・・)。
台湾への機内でスチュワーデスから「お飲物は何になさいますか?」と問われた先生は、いたずら心が起きて、「お汁粉」を所望されたんだそうですね。しばらく思案していた彼女曰く、「私、関西なものでお汁粉は飲み物ではなくて、食べ物という感じなんですが。」こういう回答はうなりますねえ。  
病院の外来で聞くことの多い言い方として、「お大事にして下さい。」という言い方のおかしさが指摘されています。敬語の間に「して」という言葉が挟まっているための違和感。「お大事になさって下さい」あるいは「お大事になさいませ」にするべき、と。  
今を去る20年以上前、東京は山の手生まれのやんごとなきお方が新潟の地に来られた際に、「エンガチョ」なる言葉を叫ばれたことがありました。なんのことかお解りですか?いえ、誰が言ったかではなくて、言葉の意味が。リンボウ先生によれば、これは東京の方言で、しかも子供の言葉なんだそうでありますね。ああ、良かった!語彙の少ないことを田舎生まれの筆者は、内心恥じていたのでありますよ。新潟市内にはそげな表現はなかったすけ、知らねこてさ。知らなくて当然の東京の田舎言葉だったのでありますね。民族学的「みそぎ」の儀式用語のようであります。  
交通安全標語の多くは五・七・五でできていることが多いですが、標語を川柳のような世間を斜に眺めた文芸の形を援用するのは理に適わない、と。珍作を一つ紹介されておられます。「飛ばしたい抜きたい気持ちにブレーキを」本誌の多くは男性の神経内科医ですからおかしさの意味はお解りと思います(リンボウ先生も説明はしていません)。少数ですが、女性読者の方は例え医師でも解りにくいかもしれません。どうしてもお知りになりたければ、恋人か配偶者に聞いて下さい。ただし、どこでそんな知識を仕入れたかは言わないこと。  
本誌のようなニュースレターを出しておりますと、「あんなもの出してるなんて、暇やねえ。」と先日もある会議で言われましたが、暇やから書いてるんとちゃう!と言いたいのでありますね。こういう時間も実験をしたり論文を書いていたら、もっと本当に仕事ができるとは限らないのでありますよ。リンボウ先生がこんなことを書いておられました。声楽をされておられる方ですので、「暇があるから趣味で歌うのではない。暇がないから、せめて自分を失わないために、精神の拠り所として音楽をするのである。」異議なーし!リンボウ先生はこの後、芸大をお辞めになりました。ん?
さて、科学ミステリーであります。以下のような疫学的事実が存在することに多くの識者はご異存がないものと推察いたします。
1). 胸の大きな女の子の母親も、また大きい。実は、おばあちゃんもというケースが少なくない。2). 姉妹の場合、一方が大きい場合、他方も大きいことが多く、一方が巨乳で他方がペチャということは少ない。つまり、姉がFカップなら、妹もFということ。さて、これらの事実からどのような遺伝形式が想定されるでありましょうか?勿論、栄養など外的因子の影響はあるでしょうし、多因子遺伝である可能性の方が高いでしょうが、話しを面白くするために、この際、単因子遺伝であると仮定します。母親から娘へ遺伝子が継承されているように思われますね。そう、細胞質遺伝。ミトコンドリア!やはり、イブであります。このことから、次のような現実が想像されます。
1). 巨乳の母親から生まれる子供に女の子がいない場合、そこで遺伝子が途絶える。人類という生物にとって、遺伝子が途絶えるということは生物学的に進化論的に困ることであります。故に、該当する女性は女の子を生むべきである、かどうかは筆者の与り知らぬことであります。2). 男の子が産まれた場合、遺伝子は継承されるものの、精子には核遺伝子しかないので、次の世代には受け継げられないことになります。しかし、逆に言えば、世の中に、巨乳遺伝子を持ち運んでいる男がうようよ存在していることになります。これらの男性に、ホモセクシュアルが多いかどうかは、不明でありますが、ホモの母親の身体的特徴に関する疫学的研究は存在しないように思われます。胸が小さくて悩んでいる女性は多いのです。やはり、文部省の科学研究費で是非ミトコンドリア遺伝子を解析するべきでありましょう。国立遺伝研究所の宝来先生にこんなことを提唱したら、叱られるでしょうか?  
しかし、であります。巨乳にするために胸にシリコンなどを入れて、そのために生体側のアレルギー反応を引き起こし、徳島大・内科の三好名誉教授(Miyosi型Distal dystrophyの方です)が、以前提唱された「人体アジュバント病」が出現する可能性もあるわけであります。この疾患の特徴を初期の三好教授の定義から(三好和夫:人アジュバント病の歴史。感染炎症免疫, 25:110-119, 1995)
1). 乳房形成術後に遷延感作、関節リウマチ症状など全身的な自己免疫様疾患が生じる。
2). 注入異物はパラフィン、シリコン
3). 局所と所属リンパ節の組織学的特徴は、リポファゴサイトと肉芽腫炎
4). 高gグロブリン血症や自己抗体の存在
5). 細菌や悪性腫瘍はない
6). 異物の除去により、症状が改善することも  
これらを防ぐためにも、遺伝子の解析が待たれるわけであります、よネ?三好先生の論文には、「豊胸術を第一義的に望ましいとする社会的プレッシャー」を批判する論文を紹介されておられますが・・・。  
動物に蛋白を免疫する場合、結核死菌を含む完全フロインドアジュバントを使用しますが、三好先生の論文で初期の発見の経緯を知りました。1924年に、モルモットをヒツジ抗原で感作するときに、結核菌に罹患した動物のほうが多くの抗体を作ることが報告されているそうです。ヒトの肺結核患者ではとくに自己免疫疾患が多いとは思えませんが、お年寄りが多いからでしょうか?若年者の結核患者ではどうなのでしょう?以前、がんの治療として、BCG療法などというものがありましたが、内科の先生方のお話では、結核患者が特に癌になりにくいことはないようですし、意外に肺癌+肺結核が多いんだそうです。
Damn it!
Hang it! Shit!
Great Scott!
Oh, dear!
Dear me!
Dear God!
Hell!
Fuck it!
Go to hell!
You bastard!
Son of a bitch!
Fuck you!
Gosh!
God damn it!
Jesus Christ!
Doggone it!  
ずいぶんあるもんですねえ!3つの辞書を総動員して調べてみました。首相と同じで、日本語はこれほど類義語が豊富ではありませんね。ボキャ貧とは言わないまでも。  
1997年11月、札幌で開催された日本免疫学会および1998年8月、カナダのMontrealで開催されたInternational Society of Neuroiimunologyで、すでに私たちはご報告しておりますが、同じアイディアの報告がNature Medicineに1997年11月に出ました。抗Yo抗体陽性Paraneoplastic cerebellar degeneration患者末梢血中には、Yo蛋白の構成成分であるペプチドに対する細胞障害性T細胞(CTL)活性が存在しています。Dr. Darnellらの報告は、CTLの存在に関する普遍性を証明したことになります。ただ、日本人例は全例がHLA A24を持っていますが、アメリカ人(?)のHLAデータは彼らも持ってはいませんので、彼らのペプチドが欧米で普遍性があるかどうかは不明。それほど長くもない論文に、2箇所も「我々の知る限りCTLの証明は初めて」とわざわざ記載。  
同じ月にリコンビナント蛋白を抗原とし、dendritic cellを標的としたPCDのCTL assayの第1弾を報告しました。あと4つ投稿中。Tanaka M. Tanaka K. Shinozawa K. Idezuka J. Tsuji S. Cytotoxic T cells react with recombinant Yo protein from a patient with paraneoplastic cerebellar degeneration and anti-Yo antibody. J. Neurol. Sci., 161:88-90, 1998.
番号違いで他へいってしまう危険性があることと、FAXが医師の机上にあることは通常ありませんから、他の人の眼に触れる可能性が極めて高いことになります。プライバシー保護の観点からまずいですね。コンピューターでのメールの場合も、間違って他へ送ってしまって、社内不倫がばれたなんていう不幸な事件もあるようです。患者さんの情報を送る場合、FAXよりもclosedではありますが、宛先の間違いにはくれぐれもご用心!
(Rapalio, O., et al.: Implantation of stimulated homologous macrophages results in partial recovery of paraplegic rats. Nature Med., 4:814-821, 1998)。  
中枢神経の再生が何故悪いのかはまだ良くは解ってはいないそうです。ラットの脊髄を切断し、そこへin vitroで末梢神経で刺激したマクロファージを切断遠位部に注射すると、部分的ですが運動機能が回復し、切断部位で下降線維が再生して再び繋がったことを神経生理学的・組織学的に証明。活性化したマクロファージは傷んだミエリンや成長抑制因子を取り除き、サイトカインや成長因子、wound-healing factorsを分泌し、神経が再生することに必要とされるextracellular substratesやプロテアーゼに関与していることが推測。自己のマクロファージを投与することは、移植や成長因子などの蛋白を投与するよりより生理的で安全、と。マクロファージは、従来、ジャッカルのように抗体依存性細胞障害のeffector cellsとして組織を破壊するか、掃除人ハイエナのように食作用で単に清掃しているだけのどちらか、と考えておりましたが、doctor car(救急車)のように修理する能力も持っていたんですねえ!
第118回天皇賞・秋が1998年11月1日、東京・府中の東京競馬場で開催。一番人気のサイレンスズカは稀にみる逃げ馬として人気を博し、スタートからぶっちぎりで先頭を走っていたものの、4コーナー手前でレースから離脱。左前脚の手根骨粉砕骨折をおこしていたため。再起不能ということで、厩舎に戻ることなく直後に安楽死処分になりました。そのまま走っていられたら、優勝できた可能性が高かったため、その運命の過酷さに涙を誘いました。3本足で馬が生きられるものかどうか、筆者は知りません。交通事故にあった犬や罠にかかった狐は3本足でも生きていけますが、馬の場合巨大な体重を維持はできないのかもしれません。種馬として余生を生きる道も困難だったのかもしれません。敗血症で苦しむだけだという意見もあるようです。しかし、サラブレッドの過酷な運命に同情した競馬関係者の中には、馬のための老人ホームを作った人もいます。もう、役には立たなくなったから、維持費がかさむだけだから、という理由で安楽死させてしまう、効率だけを追い求める風潮を積極的に評価しても良いものかどうか・・・神経内科医として、筆者は悩みます。勿論、動物と人とを同一のレベルで議論はできませんが、身体障害者を多く患者として診る機会の多い神経内科医としては、無駄なことにもお金を使っても良い場合もあるのではないか、と思うのです。最近、日本では、英国をはじめヨーロッパの文化が見直されてきています。生活を豊かにするということはどういうことなのか、効率だけを追い求めていて、私たちはどこへ行こうとしているのか・・・。
以前、国療西小千谷病院(当時、現在は民間病院)にいた頃、病院食を半年続けると血漿中の脂肪酸がどう変化するかを報告し、病院食の重要さを指摘しました( 田中正美ほか:病院食の脂肪酸代謝への影響について-病院食の治療食としての意義-。医療, 45:356, 1991)。この病院食というもの、医療保険で材料費が限定されているはずなのに、施設によってずいぶん内容が異なります。調理師は地元の人ですが、メニューを作製するのは栄養士で、国立療養所(当時)のように管区内とはいえ人事異動で動きますから、メニューは平均化されるはずです(個人差は相当にあって、和食好きな人から洋食派へ変わると劇的に変わることを経験的に知っています)。考えてみますと、田舎のほうが材料費は安いはずで、全国一律で基準が設定されているのは入院患者さんにとっては不公平であります。佐渡療養所での検食は評判がよいのですが、新鮮で安い魚が入手できるのですから当然。佐渡牛というのもありますが、こっちは高価すぎて利用はできないでしょうが・・・。  
これはどこの病院でも同じだと思いますが、どうして牛乳を毎日のようにつけるのでしょう?栄養が高いから?栄養計算上、おかずを1品作るよりも調理師の労働を軽減できるから?それとも、国内畜産業者保護のため?お年寄りは牛乳の嫌いな人も少なくありませんし、筆者もそうですが、何故味噌汁の後に牛乳を飲まなければいけないのか?パン食ならともかく。どうも、昔の食事の後にいやいや飲まされた脱脂粉乳を連想させます。最近のホテルの朝食では、和食でも後でコーヒーを飲めるようになっていますが、和食の後にそんなに牛乳を飲ませたいですかねえ!