1.多発性硬化症感受性遺伝子と日本の歴史

田中正美
神経内科, 59:569-70, 2003. 

多発性硬化症(MS)は、同じ地域に住んでいても有病率の民族差が著明であるなど、遺伝的背景(MSへの遺伝的感受性:MS susceptibility)を元に、ヨーロッパで強調された高緯度地域の高い有病率や、戦後のユダヤ人によるイスラエルへの大規模な移民で認められた15歳を境に有病率への環境からの影響が異なること、また、Faroe諸島などのように外部からさまざまのものが急に持ち込まれたことで急に患者さんが出現するようになったりするなど、ウイルスなどの環境因子の関与が加わることで発症すると考えられています1)2)

国内でのMSの疫学に関する最近の成果は、生活が欧米化したためか、病型が従来わが国で多いといわれてきた視神経脊髄型(OS-MS)より欧米に多い通常型(C-MS)患者さんが多くなってきたこと、日本でも高緯度地域の有病率が高いことが従来より著明であり、緯度による変化はOS-MSでは影響を受けないけれども、C-MSでは高緯度地域に日本でも多いことがわかったことでありましょう。

最近、九州大学の吉良先生は、わが国では北緯37度を境に有病率が異なることを示しました3)。新潟県を含む37度以北の疫学調査が行われた11地域のうち、MS有病率が人口10万人当たり3人を超えた地域が8あったのに対して、37度以南の10地域では一つもありませんでした。

今のところ、ヨーロッパでの高緯度地域での有病率の高さを充分に説明できる要因は見出されてはいません。ただ、Oxfordのグループはヴァイキングの侵攻との関連を示唆していて、MS susceptibility geneはヴァイキング由来と考えています5)

日本ではこのような議論の可能性はあるでしょうか? 日本人の起源に関しては、ミトコンドリアDNAを使用した解析が進んでいて、本土の日本人と韓国人との類似性が指適されている一方、本土の日本人とアイヌや琉球人との相違が指適されています。また、アイヌと琉球人との遺伝的関係は遠く、混血が進んでいるためか、アイヌと本土日本人との遺伝的近さが目立つ、といわれています4)。これらと37度線との関連ですぐに思い出されるのは、7世紀に朝廷より造られた、渟足(ぬたり)の柵(き)。現在の新潟市内中心部、信濃川河口の沼垂(ぬったり)の地。太平洋側では常陸の石城評(いわしろのこおり)がこれに相当し、いずれも蝦夷(えみし)へのそなえとして造営されたものです6)

大陸から日本列島を見た、富山県が作製した「環日本海諸国図」という日本を逆さに見た地図があります。これを見ますと、日本海という大きめの内海の向こう側に弓のように反った日本列島があって、大陸からの文物の流れをパチンコの受け皿のように地政学的に受け止めていることがわかります7)。また、地図の右側では大陸から伸びている朝鮮半島があって、半島や南シナ海から日本へ人や物が流れてゆく様が想像できます。ところが、この地図では左側にもルートが存在していることがわかるといいます。平安時代後期には十三湖あたりが中国大陸との交易の窓口になっていましたし、「『アジアのヴァイキング』といわれるほど、海上活動に熟練した人びとを担い手とするオホーツク文化の遺跡には――11世紀を中心とした北宋銭が出土しており――北方からの文物の流入、北海道と北東アジアとの交流を如実に物語っており、後の山丹貿易の先駆を見出す。」と網野は述べています8)。また、13世紀後半にはサハリンにモンゴルが4回も侵攻していて、元寇は九州だけではなかったことがわかっていますし、14~15世紀から江戸時代にかけての山丹貿易と呼ばれるアイヌと沿海州の人々との貿易があって9)、古くから北回りの流通のルートを通じて、日本列島への大陸からの人や物の流れがあったことが、資料は少ないようですがわかっているようです。

37度線を境とする有病率の差は米国でもあるようですから3)、緯度による違いは必ずしも民族や歴史とは関係ないのかもしれません。しかし、ヨーロッパなどで、有病率の民族差は明らかですから、MS susceptibilityに遺伝的背景があることは否めません。沿海州などの北東アジアでの緯度による有病率の差や民族間の差、特にこれら地域でのC-MSの有病率には違いがないかどうか、あるいは朝鮮半島の38度線を流れるイムジン河の北と南とでMSの有病率はどうなのか、そして、本土日本人のミトコンドリアDNAのアイヌとの類似性について、37度線以北と以南とで異なるのか否か、興味は尽きません。

文 献

  1. Tanaka M. Molecular basis of susceptibility to multiple sclerosis. Acta Med Biol 1990;38:151-8.
  2. 越智博文、吉良潤一。多発性硬化症の分子免疫遺伝学。最新医学 2003;58:308-17.
  3. 吉良潤一。多発性硬化症の臨床疫学―環境要因と遺伝要因―。日本臨床 2003;61:1300:10.
  4. 宝来 聡。ミトコンドリアDNAからみた人類の起源と拡散。蛋白核酸酵素 2000;45:2579-87
  5. 田中正美。European School of Neuroimmunologyのご紹介―多発性硬化症を中心とした最新情報の講義―。神経内科 2003;58:106-7.
  6. 吉村武彦。集英社版日本の歴史。・古代王権の展開。東京:集英社;1991.
  7. 網野善彦。歴史を考えるヒント。東京:新潮社;2001.
  8. 網野善彦。日本論の視座。列島の社会と国家。小学館ライブラリー。東京:小学館;1993.
  9. 網野善彦。海と列島の中世。講談社学術文庫。東京:講談社;2003.