5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光
  平成9(1997)年8月14~19日 九州へ 訪問神社は32社  
周った順番

トピック
 福岡県大分県宮崎県鹿児島県熊本県長崎県 / 佐賀県

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 筑紫島の本宮 → 温泉(うんぜん)神社(長崎県雲仙市小浜町
 白日別 → 筑紫神社(福岡県筑紫野市)
 豊日別 → 草場神社(福岡県行橋市) あるいは 闇無浜神社大分県中津市

 橘の小戸の阿波伎原 → 現人神社(福岡県筑紫郡那珂川町) と江田神社宮崎県宮崎市阿波岐原
 
 
 福岡県~平成9(1997)年8月14日(木曜日)に入る

公のサイト 神社名      概    要
公式サイト 宗像大社
 マピオン地図
福岡県宗像市田島2331
 0940-62-1311
祭神:田心姫神(たごりひめかみ)
    湍津姫神(たぎつひめかみ)
    市杵島姫神(いちきしまひめかみ)

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 下三宮を総称して宗像大社と申します。 
   沖ノ島の沖津宮には田心姫神、
   大島の中津宮には湍津姫神、
   田島の辺津宮には市杵島姫神、
 がそれぞれおまつりされています。

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 未完成だが、このサイト「月の光」でも触れています。
 

Wikipedia 住吉神社
 マピオン地図
福岡県福岡市博多区住吉3-1-51
祭神:底筒男命
    中筒男命
    表筒男命

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  下に記述の、現人神社(福岡県筑紫郡那珂川町)が発祥の地という説もある。
 
公式サイト 警固神社
 マピオン地図
福岡県福岡市中央区天神2-2-201
 092-771-8551
祭神:神直日神(かんなおびのかみ)
    大直日神(おおなおびのかみ)
    八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
    (相殿神)建角身神(たけつぬみのかみ)
          豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
          神宮皇后(じんぐうこうごう)
          応神天皇(おうじんてんのう)

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- 現人神社
(あらひとじんじゃ)
 マピオン地図
福岡県筑紫郡那珂川町大字仲
祭神:表筒男命
    中筒男命
    底筒男命
    級長津彦命
    級長津姫命

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  この地は『古事記』に記された伊邪那岐命の禊したという橘の小門の檍原の跡だとも、また住吉神が初めて現れた土地だとも伝えられる。
 神功皇后が外征の折、住吉神が香椎に姿を現し、皇后の船の舳に立って導いたことから、住吉神を現人神とよび、この社も明治初年までは現人大明神と称されていた。

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 上の記述は、福岡県福岡市の住吉神社の発祥の地という説もある、ということになる。 

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 神が人体をもって現れる前にも、千引の岩戸閉めが行われ、禊祓いが行われたのである。
 宮崎県の江田神社とここの現人神社(福岡県筑紫郡那珂川町)は双方とも「小戸の阿波伎原」と捉えておいてよさそうな気がする。
 
公式サイト 竈門神社
 マピオン地図
福岡県太宰府市内山883
 :092-922-4106
祭神:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
    応神天皇(おうじんてんのう)
    神功皇后(じんぐうこうごう)

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 祭神の玉依姫命は、海神の御女であり、鵜葺草葺不合命の后、そして神武天皇の母君である。
 神武天皇は皇都を中洲に定めんとしてその途につかれたとき、諸皇子とともにこの山に登り、自ら胸の鏡を榊の枝にとりかけられた。そして厳の太玉串をさしたて、建国の大偉業を申告してその加護を祈祷された。
 
公式サイト 太宰府天満宮
 マピオン地図
福岡県太宰府市宰府4-7-1
  092-922-8225
祭神:菅原道真

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- 筑紫神社
 マピオン地図
福岡県筑紫野市大字原田2550
祭神:白日別尊、田村麿、五十猛尊、玉依姫尊

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 延喜式神名帳には名神大社に列し、九州を筑紫という称は白日別の神号より起こった。筑紫の国魂である。
 はじめは城山の頂上に鎮座したが、後に現社地に奉遷。

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 那岐那美両神の
国生みの時の「白日別(しらひわけ)」が祭られているのがここだろう。 
 


 福岡県と大分県~平成9(1997)年8月15日(金曜日)

公のサイト 神社名      概    要
大己貴神社
 goo地図
 マピオン地図
福岡県朝倉郡筑前町大字弥永697-3
祭神:大己貴大神
   (相殿)天照皇大神
        春日大明神 

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 延喜式神名帳に「夜須郡一座於保奈牟智神社」と記され、筑前国では宗像大社に次ぐ名古社であった。
 高御産霊大神の御神勅には
 「よろしく八十万の神をひきいて、ひたぶるに皇孫のために国を護り奉れ」
 とある奉勅祭祀の神社である。
 神体山の大神山(史跡)を神籬(ひもろぎ)としている。

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 筑前町の公式サイト より

 大己貴(おおなむち)神社はかつて「大神(おおみわ)神社」と呼ばれていたことから、「みわ(三輪)」という町名(旧三輪町)の由来になったとされる。
神社は、日本最古といわれ、その長い歴史を静かに語るべく、いつもかわらない姿で、木々に守られるように弥永地区に佇(たたず)む。

 奈良県桜井市三輪には三輪地区とよく似た地名が多く、大己貴神社と同名の神社が桜井市にもある。
 この不思議な一致に着目した学者安本美典氏は、古事記、日本書紀などの解折から、卑弥呼と大己貴神社に祀られている天照大神が同一人物ではないかと説き、旧三輪町付近にあった邪馬台国が東に移り、その後、大和地方となったのではないかと論じている。

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  玄松子 より

 神功皇后の新羅征伐に際して、兵が集まらなかったため、大三輪社を建てた所、集まったという。
 また、大三輪神の祟りによって、兵が逃げ、死亡していたが、これを祀ったことにより、無事、新羅平定がかなったとも。

 奈良・大神神社参拝時に、「福岡から」と告げると、神職から、当社の事を聞かれた。
 有名なのか?
 
- 英彦山神宮
 マピオン地図
福岡県田川郡添田町大字英彦山1
祭神:天忍穂耳命
   (配祀)伊邪那岐命
        伊邪那美命

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 英彦山は古くから神の山として信仰されていた霊山で、祭神が天照大神の御子天忍穂耳命であるところから、「日の子の山」すなわち「日子山」と呼ばれていた。 
 天忍穂耳命は英彦山に降臨、瓊瓊杵命の建国の偉業に助力された。
 神武天皇が東征の際、天村雲命を遣わして創祀されたという。 

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 本サイト「月の光」でも触れている箇所がある。
 
- 草場神社
(豊日別宮・官幣太神宮)
 goo地図
 マピオン地図
福岡県行橋市南泉7-13-11
祭神:豊日別命

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 欽明天皇( -571)のとき神託により創祀され、
豊日別宮と称された。
 また、古く朝廷から宇佐宮に奉納される宝鏡は、田川郡採銅所で鋳造され、この社に一時奉安されたのち神輿とともに宇佐に遷される例から
官幣太神宮とも称された。

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 那岐那美両神の
国生みの神社と捉えて参拝した。
 
公式サイト 宇佐八幡宮
 マピオン地図
大分県宇佐市大字南宇佐2859
 0978-37-0001
祭神:一之御殿(八幡大神)
       誉田別命(応神天皇)
    二之御殿(比売大神)
       多岐津姫命(たぎつひめのみこと)
       市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
       多記理姫命(たぎりひめのみこと)
    三之御殿(神功皇后)
       息長帯姫命(おきたらしひめのみこと)

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 当社は全国八幡宮の総本宮である。

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 本サイト「月の光」 より

  三女神はおそらく宇佐神宮で養育され(?)、成人してからは、おそらく宗像大社を拠点にして(?)、母の早子が八岐大蛇の化身であったことを恥じてそれぞれ流浪の旅に出た。一番目の沖津島姫竹子(たけこ)は沖つ島(滋賀県竹生島)へ、二番目の江ノ島姫湍子(たきこ)は相模江ノ島(神奈川県江ノ島)へ、三番目の市寸島姫田奈子(たなこ)は厳島(広島県厳島)へ。
 罪を償ったのち、
田奈子姫(市杵島姫)は、伊吹戸主命(月読尊の子)の妻となって、伊予津彦、土佐津彦、宇佐津彦を生み、宇佐に住み、宇佐にて神となられた。その後、厳島の宮に、「悪しきを忌み、良きを知る」という意味の「厭う(いとう)」神として祭られた。
 「宇佐にて神となった」とあるから、亡骸は「宇佐」に納められたという推測が妥当であると思うが、しかし平成9年夏に九州を一周したときのことを思い返すと亡骸は
宗像大社宗像大社ゆかりの場所に納められているようなイメージが伝わってくる。
 
- 白石神社
 マピオン地図
大分県国東市武蔵町内田
祭神:八大竜王

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 国東半島から伊予灘に向けて祝詞を奏上したくて立ち寄った。
 また、国東半島に紀元前12世紀頃の製鉄所跡があるはずだが、この場所を探し出せなかった。

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  神代文字岩 より
 
  先の巨石の前には「○山陵 富山」と彫り込まれた石柱がたてられている。○は日輪を意味し、 「陵」の字は高貴な方の墓を意味するという。古文書によると「富秋足中置天皇」 は国東半島の文殊山(マピオン地図)に大宮を構え、富塚山の藤井(現・富山市)に葬られたという。 この里山のふもとにはかつて「皇居広場」と呼ばれていた一角があり、 近年まで神事が執り行われていたという。 その神事を取り仕切っていたのが藤井氏であったというのは偶然であろうか?  また、このあたり一帯には古代の製鉄所跡が散在し、一大文化圏の存在が推理される。

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(平成18年5月28日の追記)
 国東半島には両子山り、神代文字あり、古代の製鉄所の跡ありで、とても気になっていた場所だが、どうも那岐那美両神の国生みの「両子島」であるらしい。
  
 よかとこby>文珠仙寺 (→マピオン地図
 よかとこby>両子寺 の北側に神社あり (→マピオン地図
 
(行っていないが参考地として)
闇無浜神社
(くらなしはま)
(豊日別国魂神社)
  goo地図
 マピオン地図
 
大分県中津市大字角木
祭神:豊日別国魂神
    瀬織津姫神
    大海津見神
    武甕槌神
    経津主神
    天児屋根命

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 崇神天皇の代に豊日別国魂神・瀬織津姫の二神を鎮祭したのがはじまりという。
 明治5年豊日別国魂神社を現社号に改称した。


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 溟き道の軌跡 より
 
 この城下町の北東部の海浜があり、その長さから百間浜と呼ばれたり神社の名をとって闇無浜と呼ばれたりした。しかし闇無浜神社の由来記『神功皇后征伐のとき、社殿より竜出で竜灯飛び、松の木に懸かる故に竜王の浜と言う』により太古の昔から正式には
竜王の浜と呼んでいる。



 大分県と宮崎県~平成9(1997)年8月16日(土曜日)

公のサイト 神社名      概    要
火男火売神社
 ほのおほのめ 神社
(御嶽権現)
 マピオン地図
大分県別府市東山1番地字鶴見岳
祭神:火之加具土命
    火燒速女命

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 延喜式内社で、光仁天皇の宝亀2年に鎮座。
 
火男火売神社
 ほのおほのめ 神社 
(鶴見権現)
 マピオン地図
大分県別府市鶴見9488
祭神:伊弉冉命
    火軻具土命
    豊受姫命
    大山積命

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 創建年代は明らかでないが、延喜式内の古社で、三代実録に清和天皇貞観9年正五位下を授くとある。
 
西寒多神社
(豊後一之宮)
 マピオン地図
大分県大分市大字寒田
祭神:天照皇大御神
    伊弉諾大神
    伊弉册大神
    大直日大神
    神直日大神
    八意思兼大神
    軻遇突智大神,
    大歳大神
    倉稻魂大神

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 鎮座年代は明らかでない。当社縁起によれば、神功皇后が外征から凱旋の際、西寒多に臨幸され国家を叡覧されたが、そのときの証として一本の白旗を立てておかれた。人々はこれを崇敬し、籬垣(まがき)を結んで皇威を拝した。
 のち応神天皇9年、武内宿禰が筑紫下向のおり、勅によって西寒多山上に社祠を営んだという。
 延喜の制では名神大社に列せられた。 
- 伊勢本社
 マピオン地図
大分県佐伯市蒲江大字畑野浦
祭神:神日本磐余彦尊
    加遇突知尊
    応神天皇

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 神武天皇が東征の際、海路速吸の門に向かおうとして風雨のため難航した時、天津神に天候回復を祈願された聖地という。 
 のち里人らは、神武天皇が自ら天神に神饌を供された斎器を氏神として奉斎、先祖崇拝の霊場とした。
 
祖母嶽神社
 マピオン地図
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ケ所
祭神:彦火々出見命、豊玉姫命

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 寛文9年に有馬康純が再建した。
 彦火々出見命の
宮居の跡であり、山陵もこの山中にある。
 神武天皇が東征の時、遥かにこの山を拝し、かの山は日向の国、わが祖母は海神、この難を救いたまへと勅願したことにより、祖母嶽と号したと伝えられている。
 
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 高千穂八十八社>祖母上宮 より

  由緒 創立年月日不詳なれど、神武天皇御宇に祖母嶽と奉号すと高千穂古今治乱記に見えたり。依而祖母嶽大明神と称し来たりしも、明治四年十ニ月領主の達しを受け、五ヶ所神社と改称す。また明治十六年十一月二十日を以って許を得、添利山神社と改称す。此の山無双の高山なれば絶頂には社殿建設する能わず石社を以って奉斎す。
 また別に創立年月日不詳、寛文九年領主有馬左衛門、佐藤原康祠再建、其前相分からず。祖母嶽下宮として祖母嶽大明神と奉称す。祖母嶽神社となりたるは、明治四十年頃と思われる。(高千穂町五ヶ所相沢竜義氏報告)
以上は宮崎県側の頂上社の記録である。

(上の参考に)
祖母嶽頂上本社
 マピオン地図



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 高千穂八十八社>祖母上宮 より

 高千穂神社伝閣簿(矢津田家蔵)に依ると、八十九社の内、祖母嶽大明神、五ヶ所村、但日向、肥後、豊後、八方に下宮有之、国之境也、四月卯の日何れも参詣仕候。
高千穂略図説には「五ヶ所村祖母嶽宮」の項に
一、本社 
山社に御座候、日向豊後の堺、石社に而本地弥陀釈迦観音御彰銘御座候
一、下宮山麓八ヶ所に御座候。


 宮崎県(熊本県の幣立神社を含む)~平成9(1997)年8月17日(日曜日)

公のサイト 神社名      概    要
- 幣立神社
(日の宮)
 マピオン地図
熊本県上益城郡山都町大野
祭神:神漏岐命
    神漏美命
    大宇宙大和神
    天之御中主神
    天照大御神

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 『大日本史』に見える知保の高千穂嶺が当社の所在地である。筑紫の屋根の伝承のように、神殿に落ちる雨は東西の海に注いで地球を包むので、高天原日の宮の伝承を持つ国始めの尊宮である。
 神武天皇のご発輦の原点で、皇孫健磐龍命は勅命によって天神地祇を祭られた歴史がある。 
- 天岩戸神社
 マピオン地図(西本宮の位置)

 マピオン地図(東の洞窟の位置)
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸
祭神:(東本宮)天照大御神が身を隠した天岩戸(洞窟)を祭る
    (西本宮)オオヒルメノミコト

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 弘仁年間三田井家の遠祖大神太郎惟基公が再興したと伝えられる。
 幕末になり、藩主内藤氏の崇敬をうけた。 

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 天岩戸神社(高千穂)
 天安河原(高千穂)
 
- 高千穂神社
 マピオン地図
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井
祭神:


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 初め高智保皇神と称し、承和10年に従五位下、天安2年従四位上を奉受したいわゆる国史見在社である。
 明治にいたるまで高千穂の名跡を継ぐ唯一の古社でもある。
 社殿は垂仁天皇の時代の創建といわれる。

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 高千穂神社(高千穂) より 

 三代実録第一巻にもその記述がある1200年以上の歴史を持つ古社。
かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言う。
 その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社。
 高千穂神社の主祭神は
三毛入野命(ミケヌノミコト)、神武天皇の兄弟となる。
 他に五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱を四皇子として境内の四皇子社に祀る。
 主祭神である
三毛入野命が悪神「鬼八」を退治したとされる伝説がこの地方には残り、ゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。
鬼八を退治する三毛入野命の像を本殿回廊の東側で見ることができる。

- 槵触神社
(くしふる)
 マピオン地図
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井
祭神:天津彦火瓊瓊杵命
    太玉命
    天児屋根命
    天宇受売命

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 くしふる神社(高千穂) より 

 天孫降臨は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわかし、天孫による支配を確立するきっかけとなった。
 迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を、古事記では「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」、日本書紀では「日向の高千穂のニ上の峰」 と伝えている。

 この天孫降臨の地は高千穂町以外にも、高千穂峰(宮崎県西諸県郡高原町)とする二説がある。
 「天皇家のふるさと日向をゆく」の著者 哲学者の梅原猛さんは 宮崎県発行季刊誌「Jaja」のインタビューで「霧島には高千穂という山(高千穂峰)はあっても地名は無く、稲作にも向いて無い事から、高千穂町と考えるべきかも知れない。」とコメントしている。
江戸時代の国学者 本居信長は「両方である」という折衷案を出しているという。

 → 参考: 高千穂峰(宮崎県西諸県郡高原町)
 
- 都農神社
(日向一之宮)
 goo地図
 マピオン地図
宮崎県児湯郡都濃町大字川北13294
  0983-25-3256
祭神:大己貴命
    大国主命

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 古来日向国一之宮と称す。当社縁起によれば、神武天皇の東征の際、宮崎の宮を進発、その途次この地で国土平安・海上平穏・武運長久を祈念のため、みずから鎮祭されたのを創祀とするといわれる。 

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 参考:都農神社(宮崎県都農町) 
- 都萬神社
 マピオン地図
宮崎県西都市大字妻
祭神:木花開耶姫命

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 天孫皇妃木花開耶姫を槵木原妹田の里桜川の川上に鎮座奉祀した。
 『日本書紀』に、「妻とせん」との勅言で都萬宮と称し、この地方を妻といった。
 上古、景行天皇が土蜘蛛親征のため、高屋行宮に駐在中の6年間に、剣の献納があり、現在神殿に宝蔵されている。 

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  宮崎観光写真>都萬神社 より

 
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 宮崎県観光情報>西都 より

< 御船塚(みふねづか) >
 都萬神社から国道219号を西へ渡ってすぐ。小さな空き地に石碑がひとつ。これが御船塚。
 高天原から高千穂峰に天孫降臨したニニギノミコトが、海路到着したのがこの地「
笠挟の御崎(かささのみさき)」。海がこのあたりまで入り込んだ入り江だったという。その時に乗ってきた船が鎮まった場所といわれるのがココ。

< 八尋殿(やひろでん) >
 逢初川で出会ったニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの新居として建てられた御殿跡。縦横各八尋(約15m)の家であったことから、八尋殿と呼ばれたとか。タテヨコ15mだと、建坪が約68坪。平屋の68坪は、立派な御殿だったろう。
 西都原の古代生活体験館前にある竪穴式住居を思い出した。

< 無戸室(うつむろ)、児湯の池(こゆのいけ) >
 八尋殿で新婚初夜を過ごしたニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ。ミコトは翌日、地方を荒らしていた賊の征伐へ旅立ち、数ヶ月後に戻ると、ヒメは臨月を迎えていた。ミコトはヒメの不倫を疑うが、ヒメは四方出口のない産室を作らせ、「ここに火を放ってお産をする。ミコトの子ならば、無事に産まれましょう」と産室に入る。こうして産まれたのがホオリノミコト、ホスセリノミコト、ホデリノミコトの3人の皇子だった。
 無戸室の向かい側には3人の皇子が誕生した時に産湯を使ったという児湯の池がある。昔、水の濁った沼地が多かった場所だが、ここだけはきれいな水が湧いていたことから、産湯として使ったという話。これが児湯郡の地名の由来と伝えられ、地元の人たちは「洗い子(あれんこ)」と呼んだ。
 甲斐さん(談)
「ここは『ひじゅうどん』と呼んでました。漢字で書くと火柱殿らしいですよ。火を放ったときに火柱が上がったんですかね」
 昔話をしながら、甲斐さんはこんな話も。「ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは、いわば天の神と地の神の結婚で、日本と外国の国際結婚のようなもの。反対も多くあったんじゃないでしょうか」

< 石貫神社(いしぬきじんじゃ)と鬼の窟(おにのいわや)古墳 >
 石貫神社は、コノハナサクヤヒメの父・オオヤマヅミノミコトを祀る。ここと、西都原古墳群の代表的な古墳のひとつ「鬼の窟古墳」の話が面白い。
 悪さばかりして人々を困らせていた鬼がコノハナサクヤヒメを見初め、父のオオヤマヅミノミコトに嫁に欲しいという。そこでミコトは鬼に難題を吹きかけた。
 「明日の夜明けまでに大きな塚を造れ」と。
 鬼はすぐに塚(古墳)造りに取りかかり、やがて完成した塚に安心した鬼は、うとうとと寝てしまった。そのすきにミコトは天井石を一つ抜き取って草むらに隠してしまった。
 やがて一番鶏が鳴いて、鬼も目覚め、ミコトと一緒に完成した塚を見に行ったが、天井石が一つ足りない。ミコトは塚が未完成なのを理由にヒメとの縁談を断った。
 実際の鬼の窟古墳は、加工した切石を積み上げた石室があり、天井石は畳2枚分ほどの大きな石が乗っている。面白いことに、天井石がひとつ足りないのだそうだ。石貫神社の参道入り口には、ミコトが抜き取ったという石がある。
 この石は、西都原から約30km離れた都農町の名貫川上流の石だとみられている。重機もない時代に、どうやって運び、加工し、積み上げたのか。とんでもない大工事だったはず。とても人間業ではない、ということから「鬼」の名が付いたらしい。

< 男狭穂塚(おさほづか) 女狭穂塚(めさほづか) >
 記紀の道の終点が男狭穂塚、女狭穂塚。5世紀前半に造られたと推定され、女狭穂塚は長さ174mの九州最大の前方後円墳。男狭穂塚は帆立貝古墳または造出付古墳(つくりだしつきこふん)と呼ばれ、長さ154m。隣接する陪塚(ばいちょう)169号、170号墳からは国指定重要文化財の舟形埴輪、子持家形埴輪が出土している。
 男狭穂塚は、古くから
ニニギノミコトの陵墓、女狭穂塚はその妃のコノハナサクヤ姫の陵墓と伝えられ、皇室の祖先神にあたるということで明治28年に御陵墓参考地として宮内庁の指定を受けている。
 が、しかし…。2つの古墳が造られた時代は5世紀前半~中頃。ホントのところはどうなんだろう?
 5世紀前半というと、ヤマトタケルノミコトの父として知られる景行天皇が南九州にやってきた時代。景行天皇は熊襲征伐のため南九州に6年間滞在した。その時、日向妻である娘
御刀姫(ミハカシヒメ)との間に産まれた息子が豊国別皇子(トヨクニワケ)。こうしたことから、立派な前方後円墳である女狭穂塚は、天皇家直系のトヨクニワケ、男狭穂塚はミハカシヒメという説が有力だ。

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 参考地:宮崎観光写真>木花神社 
 
江田神社
(産母神社)
 マピオン地図
宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母
祭神:伊邪那岐尊
    伊邪那美尊

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 本神社は太古の創建である。この地帯は日向の橘の小戸の檍原として、伊邪那岐尊の禊祓の霊跡の地と伝えられている。天照皇大神・月読尊・素佐嗚尊・住吉三神の降誕に霊域の地と伝えられ、中ツ瀬と称する池が現存している。
 人々は入り江を開き、田んぼを作り江田と称した。
 里人は俗に産母(やぼ)様と称した。

 禊池の場所(→ マピオン地図 )

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   より

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  宮崎観光写真>江田神社 より
  宮崎観光写真>みそぎ池 より
 
宮崎神宮
 マピオン地図
宮崎県宮崎市神宮2-4-1
祭神:神日本磐余彦命
   (配祀)鵜葺草葺不合尊
        玉依姫命

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 この地は、古史にある高千穂宮の霊地で、神武天皇の遺跡である。
 社伝によると、神武天皇の皇子神八井耳命の御児健磐竜命が筑紫の鎮守となり、天皇の都とされた跡にその神霊を鎮祭したのに始まるという。

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  宮崎観光写真>宮崎神宮 より 
 
 
公式サイト 鵜戸神宮
 マピオン地図
宮崎県日南市大字宮浦3232
祭神:鵜葺草葺不合尊
    オオヒルメ尊
    天忍穂耳尊
    彦火瓊瓊杵尊
    彦火々出見尊 
    神武天皇

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 当宮は鵜葺草葺不合尊の産殿のあとと伝えられる神秘な洞窟(約300坪)内に鎮座、創建は崇神天皇のころと伝えられる。
 推古天皇の時代に神殿造営のことがあった。

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  宮崎観光写真>鵜戸神宮 より  

 

 鹿児島県~平成9(1997)年8月18日(月曜日)

公のサイト 神社名      概    要
- 鹿児島神宮
(大隅一之宮)
 マピオン地図
鹿児島県霧島市隼人町内
 099-226-7030
祭神:天津日高彦穂穂出見尊
    豊玉比売

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 創祀は遠く神代に属し、また神武天皇の創建に係るとも伝えられる。
 境内は祭神の皇居高千穂宮跡で、神武天皇が東遷に先だって親察した。皇祖発祥の聖地である。
 醍醐天皇の延喜の制に大社に列せられ、中世以降大隈・薩摩・日向の三国中随一の大社として、また大隈一之宮、大隈正八幡宮の名をもって知られた。
 明治4年国幣中社に列せられ、明治7年官幣中社に列し、明治28年官幣大社に昇格した。 

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 隼人塚(→マピオン地図): Wikipedia より
 隼人塚の由来は、熊襲の祟り鎮めのため和銅元年(708年)に作ったという説と、養老4年(720年)の隼人の乱における死者の慰霊のために作ったという説がある。
 しかしながら江戸時代の地誌記録『三国名勝図会』によると隼人塚は国指定史跡隼人塚より約4km北東の国分重久(→マピオン地図)付近にあるとされており、さらに国指定史跡隼人塚から「旧正国寺蔵石仏」(隼人塚史跡館所蔵、鹿児島県指定文化財)と同じ康治元年(1142年)の銘を持つ石仏が出てきたことから、現在の国指定史跡隼人塚は平安時代後期に正国寺(廃寺)の前身寺院として作られたという説が有力になっている。
 ちなみに正国寺は『三国名勝図会』によると尼寺であったとされ、大隅国分尼寺後裔という説もある。
 
- 枚聞(ひらきき)神社
おかいもんさま
(薩摩一之宮)
 マピオン地図
鹿児島県指宿市開聞十町
祭神:オオヒルメムチノミコト(大日孁貴命)
    他五男三女神
          天之忍穂耳命
          天之穂日命
          天津彦根命
          活津彦根命
          熊野樟日命
          多紀理毘売命
          狭依毘売命
          多岐都比売命

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 古く神代の創祀という。延喜の制では小社に列せられた。
 また、琉球人の崇敬も篤く、現に神徳讃仰の誠意を文字に表した数枚の額面が、琉球王の名によって献納されている。
 明治5年国幣小社に列した。

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 よかとこby 九州観光と温泉>枚聞神社(鹿児島県指宿市) 

- 竹屋神社
(たかや)
 goo地図
 マピオン地図
鹿児島県南さつま市加世田宮原
祭神:




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- 笠沙宮跡
 マピオン地図
発祥のコレクション>日本発祥の地 より

笠狭宮跡 かささのみやあと

 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は, 吾田(あた)の長屋の笠狭(かささ) の碕(みさき) [日本書紀] に上陸後, 朝日の直刺(たださ)す国, 夕陽の日照(ひて)る国, 甚吉(いとよ)き所 [古事記] といって, ここに宮居(みやい)を建てたという。
 後世, これを笠狭の宮といい, この地を御座屋敷(ござやしき)とよんでいる。
 前方の竹屋ヶ尾(たけやがお)は, 尊(みこと)の后, 木花開耶姫(のこはなさくやひめ)が, 彦火火出見尊(ひこほほづみのみこと)をお産みになった所といわれている。
 瓊瓊杵尊は, その後, 宮原(みやばる)・川内(可愛山陵(えのさんりょう))に移ったという。
 この碑は戦前, 鹿児島県が神話ゆかりの地として, ここを指定したとき建てられたものである。
          加世田市教育委員会

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 参考1:加世田歴史館>加世田文化遺産マップ > 
笠沙宮跡碑 

 参考2:薩摩紀行>日本発祥の地 笠沙宮跡

- 豊玉姫神社
 マピオン地図
鹿児島県川辺郡知覧町郡16510
祭神:豊玉姫命
    日子火々出見命
    豊玉彦命
    玉依姫命

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 豊玉姫の頤址。
 姫命の遺徳を慕った郷民が、亀甲城の西麓に神社を建立して厚く崇敬した。
 また、姫神の従者赤崎氏の子孫が代々神社の祠官をつとめたとされる。 

-
( 行ってはいないが参考までに )
飯倉神社
 マピオン地図
鹿児島県川辺郡川辺町宮4778
祭神:玉依姫命
    大綿津見命
    倉稲魂命

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 川辺郷宮村飯倉山に神祠があり、寛元5年これに加世田郷宮原村より一社、阿多郷宮村より一社を合祀し、三社大明神と称した。
 明治4年飯倉神社と改称。 
 

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( 行ってはいないが参考までに )
新田神社
 マピオン地図

鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
祭神:天津日高彦火瓊瓊杵尊
    (相殿)天照皇大御神
         天忍穂耳尊

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 当社は神代のむかし、すでに社殿を参道石階中段に設け、祭祀を厳修したという。
 
 明治18年国幣中社に列せられた。

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社殿右手、社務所前の道を進むと、邇邇杵尊の
可愛御陵がある。

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 みやざきの神話と伝承>可愛岳(えのだけ)と可愛山稜

 みやざきの神話と伝承>可愛山稜
 
  北川町商工会可愛岳後陵墓より (→ マピオン地図 )
  可愛岳にはニニギノミコト御陵墓伝説が伝えられています。古事記によると、天孫ニニギノミコトは高天ヶ原より「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰」に降りてこられたと記され、日本書紀にはニニギノミコトが亡くなられたとき「筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる」と記されています。
 「可愛の山陵」が北川の可愛岳のことかどうかはっきりした確証は得られていないものの、享和2年(1802)には延岡藩主内藤政韶公が調査を試み、鬼の築山と呼ばれる巨石こそ御陵墓であると言い、延岡藩の国学者樋口種実は山頂の三本岩がそれであると述べるなど、人々の関心を呼んでいました。
 明治維新後、時の政府は同じような伝説地の中から鹿児島県川内市の新田八幡宮が可愛山陵であると治定しましたが、その後国学者や宮内庁の調査によって、明治28年、可愛岳山麓の古墳が「
可愛山陵伝説地」(現在参考地)として治定されました

 
- 枚聞(ひらきき)神社
(おけもん)
 マピオン地図
鹿児島県阿久根市山下7978
祭神:オオヒルメムチノミコト(大日孁貴命)

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 祝詞を奏上しておきたくて立ち寄った。
 

 熊本県と長崎県~平成9(1997)年8月19日(火曜日)に入る

公のサイト 神社名      概    要
- 天の岩戸
(大岩盤の前に観音あり)
 マピオン地図
熊本県



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- 温泉神社
(うんぜんじんじゃ)
 マピオン地図



一の宮
千々石の温泉神社
 マピオン地図
 後に速日別命は合祀神とした。



二の宮
吾妻町の温泉神社


三の宮
諫早市の諫早神社


四の宮
有家町の温泉神社


<その他多数>
雲仙市加津佐町の
雲仙神社

 マピオン地図

長崎県雲仙市小浜町雲仙
 
祭神:白日別命 (しらひわけのみこと) →国生み
    豊日別命(とよひわけのみこと) →国生み
    建日別命(たけひわけのみこと) →国生み
    建日向日豊久士比泥別命    →国生み
          (たけひむかひとよくじひねわけのみこと)
    速日別命(はやひわけのみこと)


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 雲仙温泉神社 より

 
島原半島の山岳信仰による四面宮信仰
 雲仙温泉神社は、雲仙岳(温泉山)を信仰の対象にする山岳信仰の拠点であったと考えられ、その信仰は島原半島にくまなく伝播していたもので、島原半島特有の四面信仰であった。

 島原半島の温泉神社における、四面宮信仰は、この地に特有と思える。対岸の熊本にも、同名の神社は有るが、祭神が違う。島原半島に数多くある、温泉神社は、その全てが、雲仙温泉神社の末社であり、この温泉神社が総本宮である。

 神社由緒記によれば、上古は「温泉神」と称し、中古は「四面宮」であった。明治二年神社改正時に「筑紫国魂神社」とし、大正四年県社の際、「温泉神社」に戻した。


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 『古事記』 より

 次に筑紫の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別といひ、豊の国を豊日別といひ、肥の国を建日向日豊久士比泥別といひ、熊曾の国を建日別といふ。

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 恵依弥(えひめ)二名神社が伊予の二名島の本宮の位置であったように、この雲仙の温泉(うんぜん)神社が「
筑紫島」の本宮の位置にある神社だと思う。
 雲仙普賢岳のある島原半島は勾玉ソックリで、国常立尊の勾玉が封じられている場所のようにも思える。それが、那岐那美両神の時の国生みのときに「筑紫島」として現れてきたものだろう。

   



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