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  八岐大蛇を退治した後の素盞嗚尊とそれ以後の出雲
引用文献:
 『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上下巻)
 『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』(八幡書店、上下巻)

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)

須佐之男、宮居を定める
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P151)より

 ここに 国照大神 天降りまして 
須賀(すが)の宮に 還りたまイて 直に 八門の御室(みむろ)を 造りまして


(※)
 スサノヲが須賀に帰り「みむろ」(御室)を作ったというこのエピソードは、スサノヲが出雲の清(すが)の地に到り宮を立てたという古事記、日本書紀本文の伝説と大方重なるが、宮でなく御室を作ったという点で出雲国風土記の伝説とより深く繋がるものである。
 出雲国風土記・大原郡斐伊郷の御室山の項に「神須佐乃乎の命、御室を作らしめ給ひて、宿らせ給ひき。故、御室という」とあり、上紀と同じように「みむろ」の語が現われている。
 御室が須賀の地と深く関わるものであることは、御室山(→マピオン)のすぐ近くに須我山(八雲山→マピオン)があり、また大原郡の郡社に須我神社(→マピオン)あることから知られる。

(参考)「室山」からの引用
 布須神社は延喜式神名帳に乗る古社である。本来室山全体を神体とし本殿はなかった。荒廃していたが、治承年間(1177〜81)、多くの石を積んで玉垣で囲み御神体とし、社殿が造営された。祭神はスサノオ、稲田姫命である。室大明神、室山さんと呼ばれ親しまれた。
 スサノオが八岐大蛇退治のとき御座所を設けられたので、御室山となったと伝える。北麓にお釜と呼ばれる岩があり、「八塩折の酒」を造らせたところと伝える。この酒で大蛇を酔わせ退治したのである。
 八塩折(やしおり)の酒とは、字の通り、搾った酒をまた醪に加え何度も仕込むもので、濃厚な酒になるという。強い酒で大蛇を退治したのだ。

須佐之男、宮居を定めて櫛名田姫との間に御子神を生む(2代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P151)より

須佐之男の尊の2代目の子孫

(1) 八島篠眞(やしましぬま)の命
   別名、
八島士奴美(やしましぬみ)の命
   別名、八束水臣津野(やつかみづおみづぬ)の命
(2) 都留伎比古(つるぎひこ)の命
   別名、山口(やまぐち)の神
出雲国風土記・嶋根郡山口郷に「須佐能烏の命の御子、都留伎比古の命、詔りたまひしく、吾が敷き坐す山口の処なり、と詔りたまひて、故、山口と負ほせき」とある。

(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P22より

 山口の郷→松江市東西川津町、東西持田町、西尾町辺を含む地区。
 都留伎比古(つるぎひこ)の命→ 刀剣の霊神で、嵩山(だけさん)の布自支弥社の祭神。

(※)布自支弥社は、布自伎美神社(松江市上東川津町嵩山→マピオン)のことだろう。

(3) 国押別(くにおしわけ)の命
   別名、形結(かたゆゐ)の神
出雲国風土記・嶋根郡方結郷に「国忍別の命、詔りたまひしく、吾が敷き坐す地は、国形エしとのりたまひき。故、方結という」とある。

(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P23より

 方結の郷→ 八束郡美保関町北岸中央一帯の地区。
 国忍別(くにおしわけ)の命→ 方結神社(島根県松江市美保関町片江→マピオン )の祭神。

(4) 磐坂日子(いわさかひこ)の命
   別名、恵曇(えとも)の神
出雲国風土記・秋鹿郡恵曇郷に「岩坂日子命、国巡行でましし時、此処に到りまして、詔りたまひしく、此処は国稚く美好しかり。国形、えともの如くなるかも。我が宮は是処に造らむ、とのりたまひき。故、恵伴といふ」とある。

(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P39より

 秋鹿郡恵曇の郷→ 鹿島町江角、古浦、佐陀本郷辺を含む地区。恵曇神社(→goo地図)はその遺称。
 磐坂日子(いわさかひこ)の命→ 祭神とするのは佐陀本郷の恵曇神社(→goo地図)。
                                   恵曇の恵曇神社(→goo地図)。

(5) 衝桙等乎留(つきほことウる)の命
   別名、多太(たた)の神  
出雲国風土記・秋鹿郡多太郷に「衝桙等乎与留日子命、国巡行でましし時、此処に到りまして詔りたまひしく、吾が御心は、照明く正真しく成りぬ。吾は此処に静まり坐さむと詔りたまひて、静まり坐しき。故、多太という。」とある。

(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40より

 秋鹿郡多太の郷→ 松江市東西長江町、秋鹿町の大部を含む地区。秋鹿町の多太神社はその遺称。
 衝桙等乎留(つきほことウる)の命→ 祭神とするのは多太神社。 松江市岡本町(→マピオン地図)。

 
 以上、八束水臣津野(やつかみづおみつぬ)の命以下、衝桙等乎留(つきほことウる)まで、出雲風土記は全てスサノヲの子として上紀の記述のあう。

八島篠眞(八島士奴美・八束水臣津野)の命は、木花散姫の命(大山津見の命の娘)と結婚し御子神を生む(3代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P158)より

須佐之男の尊の3代目の子孫

(1) 布波能母遅久奴須奴(ふわのもぢくぬすぬ)の命

不明


(参考)布波能母遅久奴須奴(ふわのもぢくぬすぬ)の命ー『神道大辞典(縮刷版)』(臨川書店、昭和61年縮刷復刻版)より
 八島士奴美(やしましぬみ)神の御子。御母は木花知流比女。
 御名義、
布波(ふわ)は地名、は助辞、母遅は大名牟遅の牟遅に同じく、持の意、久奴は国主、須奴は知主(しりぬし)なるべきかといわれている。


(2) 八束戸喜姫(やつかときひめ)の命


布波能母遅久奴須奴(ふわのもぢくぬすぬ)の命は、日河比売の命(淤迦美の命の娘)と結婚し御子神を生む(4代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P162)より

須佐之男の尊の4代目の子孫

(1) 深渕水夜礼花(ふかぶちみづやれはな)の命
   別名、八束(やつか)の命
   別名、八束深惠水(やつかふかえみづ)の命

不明

(※)不明につき、いろんな記事の引用。
 或るお年寄りの話。「昔は浅間神社といって、木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)と深渕水夜礼花(フカブチノミズヤレハナノカミ)を祀っていたが、明治六年に滝川神社と改め、郷社に列せられ、流鏑馬祭も盛大だった。
   滝川の浅間さん(滝川神社祭典)より引用


(参考)深淵水夜礼花(ふかぶちみづやれはな)の命ー『神道大辞典(縮刷版)』(臨川書店、昭和61年縮刷復刻版)より
 須佐之男命の神裔。布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)神の御子。御母は淤迦美(おかみ)神の女日河比売。
 御名義は母神及び祖母神と関係がある。
 深淵は碧潭ある地名、水夜礼は水を遣る意、花は花で、深き淵のその下に水を下し遣る初めなる由の御名かという。
 この神、天之都度閇知泥姫(あめのつどえちねひめ)神を娶って、淤美豆怒(おみづぬ)神を生みました。
 高知県香南市野市町西野(→マピオン地図)に鎮座の県社・深淵神社の祭神。

(参考)深淵神社(ふかぶち)ー『神道大辞典(縮刷版)』(臨川書店、昭和61年縮刷復刻版)より
 高知県香南市野市町西野(→マピオン地図)に鎮座。県社。深淵水夜礼花(ふかぶちみづやれはな)命を祀る。
 深淵水夜礼花(ふかぶちみづやれはな)命は、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)神の日河比売の日河比売を娶りて生みませる神で、社伝によれば、本社孝安天皇の御宇この地に鎮祭せられたという。平安朝初期より史上に現われ、貞観12年従5位下、元慶3年従5位上の神階を授けられ、延喜の制小社に列し、祈年の国幣に預かる。
 古来、佐太郷の総鎮守として尊信をつかむ。

(2) 波多道依姫(はたちよりひめ)の命
(3) 八雲立日奴(やぐもたつひぬ)の命


深渕水夜礼花(ふかぶちみずやれはな)の命は、天之都度閇知泥姫(あめのつどえちねひめ)の命と結婚し御子神を生む(5代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P162)より

須佐之男の尊の5代目の子孫

(1) 八束水臣津野(やつかみづおみつぬ)の命

八束水臣津野(やつかみづおみつぬ)の命と布帝耳の命は、白浜神社(→マピオン地図)に祭られている。


(2) 簀狭之八箇耳津野(せせのやつみみつぬ)の命


八束水臣津野(やつかみづおみつぬ)の命は、布帝耳戸喜姫(ふてみみときひめ)の命(布怒豆怒の命の娘)と結婚し御子神を生む(6代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P164)より

須佐之男の尊の6代目の子孫

(1) 天之冬衣(あめのふゆきぬ)の命
   別名、天之葺根(あめのふきね)の命

 天之葺根(あめのふきね)の命の伝承は、日御碕神社(→マピオン地図)創建の伝承に残る。


(参考)天之葺根命ー『神道大辞典(縮刷版)』(臨川書店、昭和61年縮刷復刻版)より
 天之冬衣神と同神。素戔嗚尊五世の裔孫。
 のち素戔嗚尊の命により高天原に至り、天叢雲剣を天照大神に奉り給うた。
 日御碕神社で毎年季冬晦の日に神職が
天一山(→下の地図を参照)に登って行う神剣奉天の古儀は之に基づく。
 現在日御碕神社神社境外摂社
経島(ふみしま)神社(→下の地図を参照)の奉仕神で、その神裔は代々日御碕神社に奉仕し、小野氏という。

(参考)天之冬衣命ー『神道大辞典(縮刷版)』(臨川書店、昭和61年縮刷復刻版)より
 「フユ」は「フ」とつまり「ヌ」は「ネ」に通う音であるから、この神は草薙の剣を持って天上に至り天照大神に奉り給うた天之葺根神と同神であろう『古事記伝』に解く。
 淤美豆怒(おみづぬ)神の御子で、御母は布帝耳(ふてみみ)神。
 あるいは、大国主神をその御子神と立てる説もある。

(参考)日御碕神社の由緒書きより(下の地図を参照)
林神社(摂社) 天葺根命(天冬衣命)
 境外、宇竜港附近の山上に鎮座す。天葺根命は天照大御神を経島に祀り、素盞鳴尊を隠ケ丘に祀り絡うた。即ち日御碕神社の祭主であって、命の子孫は世々その職を嗣ぎ(中世以降日御碕検校と称す)現小野宮司は実に九十七代の後 に当る。
熊野神社(未社)伊弉冊尊
境外、宇竜港の権現島(蓬来島)に鎮座す。毎年旧正月五日の和布刈神事は有名である。



(2) 赤衾伊農岐(あかふすまいぬき)の命

●『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40より

 出雲郡の伊農(いぬ)郷に坐しし
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命

 伊努神社(祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭気命) 出雲市西林木町山持(→マピオン地図) 

●『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40より

 出雲郡の伊農(いぬ)郷に坐しし
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命の后、天甕津比女(あめのみかつひめ)の命、国巡行し坐しし時、此の処に至り坐して詔りたまひしく、「伊農(いぬ)はや」と詔りたまひき。故、伊努(いぬ)という。
 伊努神社(祭神:天甕津比女の命 あめのみかつひめ)  平田市美野町(→マピオン地図)。



(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40・56より

 上紀(うえつふみ)では、赤衾伊農岐(あかふすまいぬき)の命と意保比古佐和気(おおひこさわけ)の命と二柱で表現されているが、出雲国風土記では、
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命と一柱の名として表現されている。
 赤衾(あかぶすま)はイヌ(寝ぬ)にかかる枕詞。

 神名は伊農の大洲見日子、狭別の神の意であろう。沖積地の神。

(3) 意保比古佐和気(おおひこさわけ)の命

●『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40より

 出雲郡の伊農(いぬ)郷に坐しし
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命

 伊努神社(祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭気命) 出雲市西林木町山持(→マピオン地図) 

●『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40より

 出雲郡の伊農(いぬ)郷に坐しし
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命の后、天甕津比女(あめのみかつひめ)の命、国巡行し坐しし時、此の処に至り坐して詔りたまひしく、「伊農(いぬ)はや」と詔りたまひき。故、伊努(いぬ)という。
 伊努神社(祭神:天甕津比女の命 あめのみかつひめ)  平田市美野町(→マピオン地図)。



(※)『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)P40・56より

 上紀(うえつふみ)では、赤衾伊農岐(あかふすまいぬき)の命と意保比古佐和気(おおひこさわけ)の命と二柱で表現されているが、出雲国風土記では、
赤衾伊農(あかふすまいぬ)意保須美比古佐和気(おほすみひこさわけ)の命と一柱の名として表現されている。
 赤衾(あかぶすま)はイヌ(寝ぬ)にかかる枕詞。

 神名は伊農の大洲見日子、狭別の神の意であろう。沖積地の神。

側室 須賀之女(すがのめ)の産んだ子は3柱の姫御子

側室 現人女(うつどめ)の産んだ子は4柱の姫御子



天之冬衣(あめのふゆきぬ)の命は、刺国若比売(さすくにわかひめ)の命(刺国大の命の娘)と結婚し御子神を生む(7代目の子孫)
     〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P169)より

須佐之男の尊の7代目の子孫

(1) 大名牟遅(おおなむぢ)の命(→大国主の命のページを参照
八十神の命


このページの編集は平成19年8月25日




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(1) 八島篠眞(やしましぬま)の命
   別名、八島士奴美(やしましぬみ)の命
   別名、八束水臣津野(やつかみづおみづぬ)の命
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