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  大国主命、大己貴命、大名牟遅命

引用文献:
 『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上下巻)
 『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』(八幡書店、上下巻)

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注)


 『秀真伝(ほつまつたゑ)』では、大国主の命は素盞嗚尊の御子神だ。
 対して、『上紀(うえつふみ)』では大国主命は素盞嗚尊を初代とすると第七代目の子孫にあたる。

 この捉え方は、おそらくどちらも正しい記述だろう。

 人体に例えると、素盞嗚尊から大国主命までの出雲7代は人体の「首」に相当すると思う。
 
 素盞嗚尊から大国主命までを人体の「首」と捉えれば、首は一つなので大国主命は素盞嗚尊の御子神と捉えていいと思う。これが『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述になるのだろう。

 しかし、人体の「首」(→図解)は7つの頚椎から構成されており、一つづつの頚椎から見ると7代となる。
 これが『上紀(うえつふみ)』の記述。


(参考)熊成の岳ー『上紀(うえつふみ)』(八幡書店、上巻、P174 の注記)
 古事記、旧事記地神本紀は「根之堅州国」すなわち黄泉の国とする。
 つまりこれらがスサノヲの住む国を黄泉の国とするのに対して、上紀(うえつふみ)は、地上世界とするわけで、スサノヲが天孫に先立って地上を治めたとする伝説的発想に符合する。


 上の『上紀(うえつふみ)』の注記にあるように、地上世界の統治はスサノヲから大国主命に移行したので、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述のように大国主命は素盞嗚神の御子神と記述されても不都合ないことかもしれない。
 地上世界に現われてきた神々を須佐之男尊の御子神としてくる『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述に、私は違和感がないし、地上世界に現われてくる前の神々の記述をしている『上紀(うえつふみ)』の記述にも私は違和感はない。

 『上紀(うえつふみ)』のような文書があるとすると、おそらく、黄泉国での伊邪那美尊の所在を伝える古文献もアフガニスタンかチベットにあるのだと思う。
 そういう文献があってしかるべきなので、私がそういう文献を見てもおそらく何の違和感も持たないだろう。

  『秀真伝(ほつまつたゑ)』(八幡書店)の系図から



  『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻)から

須佐之男尊からの系図は
八岐大蛇を退治した後の素盞嗚尊とそれ以後の出雲
を参照してください。


  大国主命のその時々の異名〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P169)より

 大名牟遅(おおなむち)の命

 大国主(おおくにぬし)の命、大穴牟遅(おおなむぢ)の命、宇都志国玉(うつしくにたま)の命、葦原之色許男(あしはらのしこを)の命、八千矛(やちほこ)の命、大地主(おおとこぬし)の命、大名牟遅(おおなむち)の命、八千矛法吉主(やちほこほよぬし)の命、大物主(おおものぬし)の命、櫛甕玉(くしみかたま)の命、大国玉(おおくにたま)の命、国玉主(くにたまぬし)の命、玉久美大地(たまくみおおとこ)の命

(※)
 和名抄、出雲風土記に現われる島根郡法吉(ほほき)郷の法吉に因む名ではなかろうか。
 大日本古文書所収正倉院文書の漢字仮名で法吉は「ほよ」と訓む。つまり本来は「やちほこほほきぬし」であったものを誤読したものではなかろうか。
 因みに風土記には法吉の地名縁起譚としてカムムスビの子・ウムカヒメが法吉鳥に化してこの地に鎮まったので法吉というとある。このウムカヒメは古事記によれば、オオナムチが兄神のために大火傷を負った時、カムムスビに派遣されてオオナムチを治療した神であった。
 このように法吉の地はオオナムチと因縁が深いところである。

  大国主命の父・天之冬衣の命〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P171)より

 天之冬衣(あまのふゆきぬ)の命 いと 若く 逸り男なる時に 八十禍津日の神の裔(はつこ) 悪(ねく)じ狂男(たぶれを)の頭(かみ)の子 梟女(ふぐなめ)ハ 眉目形(みめかた)ハ 諸人に勝れたれども 年長けて 生める御子ハ 祖父の神の御名に象せて 八十神の命 と まをす

 これの御子 御年七つ と まをしし時に 天之冬衣の命 妃 召したまエるからに 梟女(ふぐなめ)ハ いたく 嫉妬りて 御子を掻きて 宮に参イ来て 髪衣暴れに 執拗 罵らこして 幾代か 汝を 呪エましなす と 猛び 叫びて 御子を 門柱に括して そが身 眞向川に跳びて 死去に亡せき

 故 天之冬衣の命ハ 御子を目見たまイて いたく 御胸を塞ぎましき

 ここに 刺国若比売(さすくにわかひめ)の命ハ それの御子を 掻き抱かせたまイて 告りたまわく これの御子ハ 夫子の御子なり 夫子が御子ハ 全き 吾が子なり 故 吾育まに と 告りまして 人子の兄(エ)の子なり と 愛で囃したまイき

  大国主命の誕生



  因幡の白兎〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P172)より

 因幡の白兎で有名な白兎海岸の地図(→マピオン地図)。
 


公式サイト 神社名 所在地      概略(私見を含むので注意してください)
白兎神社 鳥取県 白兎伝承


  八上姫〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P172-173)より

 腹違いの兄である八十神の命大名牟遅の命は、八上姫神に会いに行った。
                 ( →河原城を中心にしたマピオン地図
 


公式サイト 神社名 所在地      概略(私見を含むので注意してください)
賣沼神社
(西日天王)
鳥取県鳥取市河原町曳田字上土居 白兎伝承
嶽古墳 鳥取県鳥取市河原町曳野 八上比女の御陵とも伝えられる。

黒木神社
公式サイト 河原城 鳥取県鳥取市河原町大字谷一木1011
電話 0858-85-0046
地域振興として建てられたランドタワー。
地域の伝承を集めているのでとても楽しい場所でした。
霊石山 鳥取県 天照大神の降臨伝承が残っている。



  大国主命の二度にわたる遭難と復活〜『 注釈 上紀』(八幡書店、上巻、P173)より

 【最初の遭難〜赤猪岩神社】
 八上比女の命と結婚できなかった腹違いの兄・八十神の命は、大名牟遅の命を殺そうとして赤き厳猪(いかしし)に似た大岩を火で焼いて要害山(手間山・天万山)から転ばし落とした。

 大名牟遅の命の御祖 天之冬衣(あまのふゆきぬ)の命 刺国若比売(さすくにわかひめ)の命 天昇して 高御産巣日(たかみむすび)の命 神御産巣日(かみむすび)の命 に祈った。

 蚶貝比女(きさがイひめ)の命 蛤比女(うむぎひめ)の命 が大名牟遅の命を生き返らせた。

               (→ マピオン地図 )
 

公式サイト 神社名 所在地      概略(私見を含むので注意してください)
赤猪岩神社 鳥取県西伯郡会見町寺内
大国主命が最初に遭難したところ。
法吉神社 島根県松江市法吉町582 宇武加比(うむかい)比売(法吉神社の祭神)は、大国主命が火傷を負ったときに、神産巣日之命の大命を受け、支佐加比(きさかい)比売(加賀神社の祭神)とともに降臨し、協力治療の大功をなした。
加賀神社 島根県松江市島根町加賀 大国主命を救済した枳佐加比姫(キサガイ・蚶貝・支佐加比)。
猿田彦命の母神。
猿田彦命が生れたのは208万年前。

対して、大国主命は約156年前に生れている。



 【2度目の遭難〜大蔵山南麓の大石見神社周辺か?】
 赤猪岩神社での復活の後、大倉山(大蔵山)で腹違いの兄・八十神の命の嫉妬が和らぐのを大名牟遅の命は待っていたがまた謀られ生命を落とす。


 八十神の命ハ そを 窺間見(かゐまみ)て また 欺きて 山に率て入りて 大樹を伏せ 角矢を嵌めて その木に打ち立て それの中に入らしめて その氷目矢(ひめや)を打ち放ちて 拷(う)ち放ちて 拷(う)ち伏(ぶ)せに 殺し棄てき

 故 御祖の命 泣きつつ それの木を拆(さ)きて 取り出て 息呼(いよぶ)せなして もとの身に活かして 告りたまわく 
 
 汝(いまし) ここに在(あ)らば 終(を)エ には腹異(はらかた)の兄 八十神の命に 殺(ころ)さエなむ


                 (→ マピオン地図 ) 
 

公式サイト 神社名 所在地      概略(私見を含むので注意してください)
大倉山
(大蔵山)
鳥取県日野郡日南町神戸上  この山は大蔵山ともいい、昔大倉神社があり闇山祇命を祀っていたと資料にある。
 山を守 護する神体は山頂の岩に出現した。また近年まで一町地蔵が立っていてお詣りする人があっ たという。しかしその跡らしきところは見あたらない。
 またこんな話も残っている。孝霊天皇に退治された鬼が住んでいて牛鬼山とも呼ばれた。昔長谷部信連の末裔の元信が山麓を通りかかると、「大蔵殿」と鬼に呼び止められ、「おまえの先祖信連が各地に神社を建てるので住み難くなったのでここを去る」といって消えた。
 長谷部信連といえば反平家を掲げて以仁王とともに決起したが平家に捕らえられ、伯耆の日野氏の元に流された(各地をさまよったという説もある)。信連はやがて鎌倉に帰り関東御家人となり、能登の大屋荘の地頭となった。
 その後長谷部信連の末裔は長氏と名乗り、前田利家に重用され加賀百万国の家老の一人となり、3万3千石と小大名並の家禄をもらった。
 一方当地に残った子孫の元信は備後の武将となり、大蔵左衛門とも呼ばれた。この山を大蔵山といったこと、鬼に大蔵殿と呼び止められたという話は、元信に関わるものと思われる。
 長谷部信連という男によって石川県の加賀・能登と伯耆がつながっている。
 山麓の
大石見神社大国主命八上姫命などを祀る。
 因幡で八上姫を娶った大国主命は出雲への帰途、手間山(要害山)で兄弟の八十神の妬みから大怪我をするが、
八十神の妬みがおさまるまで大倉山の山中で待ったという。

 この故事から
孝霊天皇が大和三輪山大明神を勧請し祀ったと伝える。
 神社から大倉山の手前のピークに大岩が見えるが、大倉山の御神体が降臨した岩であり、また牛鬼の住処でもあった。この岩が見えるので石見といったという。

 上記は鳥取の山から引用。

大石見神社 鳥取県日野郡日南町上石見(かみいわみ)  大倉山南麓の大石見神社大国主命八上姫命などを祀る。

 因幡で八上姫を娶った大国主命は出雲への帰途、手間山(要害山)で兄弟の八十神の妬みから大怪我をするが、
八十神の妬みがおさまるまで大倉山の山中で待ったという。

 この故事から
孝霊天皇が大和三輪山大明神を勧請し祀ったと伝える。
 神社から大倉山の手前のピークに大岩が見えるが、大倉山の御神体が降臨した岩であり、また牛鬼の住処でもあった。この岩が見えるので石見といったという。

 上記は鳥取の山から引用。

 上記の引用の真贋を現在調査中ですが、おそらくこの神社が
大国主命が2度目に遭難し復活した由緒ある神社かもしれません。

石見神社 鳥取県日野郡日南町下石見(しもいわみ) 伝承



  紀の国の大屋比古の元へ大名牟遅の命、脱出〜『 注釈 上紀』(八幡書店、上巻、P174)より

 故 久久能智(くくのち)の国の 大屋毘古(おおやびこ)の命の御許辺(みもとべ)に 急がし 遣りたまイき

 故 八十神の命ハ 求(ま)きつつも 追イ到りて 鹿児矢刺(かごやさ)す時に木(こ)の俣(また)ゆ漏(く)き 間逃(まぬが)れて 久久能智(くくのち)に走(わし)ら越(こ)しましき



  熊成の岳にいる国照神(素盞嗚尊)の元へ〜『 注釈 上紀』(八幡書店、上巻、P174-175)より

 ここに 大屋毘古の命 謀(たばか)りに訓(ご)りに 告(の)りたまわく 秋津高穂(あきつたかほ)の熊成の岳に 吾が御祖(みおや) 国照大神 常座(とこくら)ます 故 そに 走(わし)りまをさば それの大神 謀(たばか)りたまイなに と 急がし 放ちましき


(参考)熊成の岳ー『上紀(うえつふみ)』(八幡書店、上巻、P174 の注記)
 古事記、旧事記地神本紀は「根之堅州国」すなわち黄泉の国とする。
 つまりこれらがスサノヲの住む国を黄泉の国とするのに対して、上紀(うえつふみ)は、地上世界とするわけで、スサノヲが天孫に先立って地上を治めたとする伝説的発想に符合する。




  大国主命の試練〜『 注釈 上紀』(八幡書店、上巻、P177-178)より

 【1-蛇の室屋】



 ここに 大屋毘古の命 謀(たばか)りに訓(ご)りに 告(の)りたまわく 秋津高穂(あきつたかほ)の熊成の岳に 吾が御祖(みおや) 国照大神 常座(とこくら)ます 故 そに 走(わし)りまをさば それの大神 謀(たばか)りたまイなに と 急がし 放ちましき

 【2-百足手と蜂との室屋】



 【3-鳴鏑を大野の中に〜鼠の救済】



 【4-国照大神、八田間の大室内で御頭の虱を取らせる】

 ここに 国照大神 天降りまして 
須賀(すが)の宮に 還りたまイて 直に 八門の御室(みむろ)を 造りまして

(※)
 スサノヲが須賀に帰り「みむろ」(御室)を作ったというこのエピソードは、スサノヲが出雲の清(すが)の地に到り宮を立てたという古事記、日本書紀本文の伝説と大方重なるが、宮でなく御室を作ったという点で出雲国風土記の伝説とより深く繋がるものである。
 出雲国風土記・大原郡斐伊郷の御室山の項に「神須佐乃乎の命、御室を作らしめ給ひて、宿らせ給ひき。故、御室という」とあり、上紀と同じように「みむろ」の語が現われている。
 御室が須賀の地と深く関わるものであることは、御室山(→マピオン)のすぐ近くに須我山(八雲山→マピオン)があり、また大原郡の郡社に須我神社(→マピオン)あることから知られる。

                〜『 注釈 上紀(うえつふみ) 』(八幡書店、上巻、P151)より

(参考)「室山」からの引用
 布須神社は延喜式神名帳に乗る古社である。本来室山全体を神体とし本殿はなかった。荒廃していたが、治承年間(1177〜81)、多くの石を積んで玉垣で囲み御神体とし、社殿が造営された。祭神はスサノオ、稲田姫命である。室大明神、室山さんと呼ばれ親しまれた。
 スサノオが八岐大蛇退治のとき御座所を設けられたので、御室山となったと伝える。北麓にお釜と呼ばれる岩があり、「八塩折の酒」を造らせたところと伝える。この酒で大蛇を酔わせ退治したのである。
 八塩折(やしおり)の酒とは、字の通り、搾った酒をまた醪に加え何度も仕込むもので、濃厚な酒になるという。強い酒で大蛇を退治したのだ。



 【5-国照大神、八田間の大室内に押入れ髪をタキリに結びつける】


  国照大神から大国主命





(※)八十神の命の出生の秘密が告げられる。
 こハ 眞の兄ならず 悪(ねく)じ頭(かみ)の子なり 兄ハ仮名なすゆ 

  八十神の命、大名牟遅命をまたも迫害。


  大名牟遅命の反撃

 妙見山(→マピオン地図

 三屋神社(→マピオン地図

  大名牟遅命須勢理(すせり)毘売の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P180)

 須勢理毘売(すせりびめ)の命 またの名ハ 多紀玉(たぎたま)比売の命

(注記)
 多紀玉(たぎたま)比売の命、オオナムヂがこの姫神との間にアジスキタカヒコネ、タカヒメを生んだとすることから考えて、古事記、旧事記がオオナムヂとの間にアジスキタカヒコネ、タカヒメを生んだとするタキリヒメタコリヒメ)と同一神か。

(1) 木之阿遅鋤高日子根の命
(このあぢすきたかひこね)
またの御名 一言主(ひとことぬし)の命
(2) 下光比女の命
(したてる)
またの御名ハ 高比女(たかひめ)の命
またハ 大倉比女(おおくらひめ)の命
またハ 阿陀加夜主多伎吉(あだかやぬしたきき)比売の命

(注記)大倉比女(おおくらひめ)の命
 大日本神名辞書は、神社?録を引いて大倉比女を下光比女(したてるひめ)の別名だろうとする。この伝承は上紀の記述にあう。

(注記)阿陀加夜主多伎吉(あだかやぬしたきき)比売の命
 出雲国風土記・神門郡多伎郷の条にオオナムヂの御子としてこの神名を挙げる。
 一方、古史徴神代系図はタカヒメ、シタテルヒメ、オオクラヒメ、タキキヒメを同一神とする上紀の記事と同じ系譜を掲げる。
 
 多伎神社(多伎町多岐)、 祭神:阿陀加夜努志多伎吉毘売命

  大名牟遅命、八上(やがみ)比売の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P181

(1) 木之俣の命
(きのまた)
(2) 御井の命
(みい)

  大名牟遅命、高津(たかつ)比売の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P181

 高津(たかつ)姫の命 またの御名ハ 神屋楯(かむやたて)比売の命

(注記)神屋楯(かむやたて)比売の命
 古事記に神屋楯比売とみえ、オオナムヂとの間に事代主を生んだとする点で上紀と一致するが高津姫と同一神とする記事は古史徴の系譜に合う。

(1) 積羽八重事代主の命
(つみはやゑことしろぬし)
(2) 高照姫の命
(たかてる)


(注記)高照(たかてる)姫の命
 旧事記にはツミハヤエコトシロヌシの妻と現われている。
 これは、両者を兄妹とする上紀と異なる。これに対し 古史徴は上紀にあう。

  大名牟遅命、越の沼河(ぬなかわ)比売の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P181

(1) 建御名方の命
(たけみなかた)
またの御名ハ 御穂須々美の命

(2) 山代日子の命
(やましろひこ)
(注記)山代日子(やましろひこ)の命
 出雲風土記・意宇郡山代郷の条に「山代日子」。

 山代社(松江市古志原町) 祭神:山代日子命

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P10)より
(3) 若経津主の命
(わかふつぬし)

  大名牟遅命、眞玉邑(またまむら)比女の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P181

(注記)眞玉邑(またまむら)日女の命
  出雲風土記・神門郡朝山郷の条に「眞玉著(またまつく)玉之邑(たまのむら)日女」。

  朝山神社(出雲市朝山町) 祭神:真玉著玉邑姫命

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P68)より

(1) 八尋鉾永依日子の命
(やひろぼこながよりひこ)
(注記)八尋鉾永依日子(やひろぼこながよりひこ)の命
 出雲風土記・嶋根郡生馬郷の条に「八尋鉾永依日子」。

 生馬神社(松江市東生馬町) 祭神:八蕁鉾長依日子命

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P23)より
(2) 薦枕志都沼値の命
(こもまくらしつぬし)
またの御名ハ 天津枳値可美高彦(あまつきちかみたかひこ)の命


(注記)薦枕志都沼値の命・天津枳値可美高彦の命
 出雲風土記・出雲郡漆沼郷の条に見える。

 都牟自神社(斐川町直江) 祭神:天津枳値可美高日子神
 都牟自神社(斐川町福富) 祭神:薦枕志都沼値命

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P55)より

(3) 蚶小貝比売の命
(きさをがイひめ)
(注記)蚶貝比売(きさがいひめ)の命
 出雲風土記・嶋根郡加賀神崎郷の条に「御祖神魂の御子枳佐加比売」とある。

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P23)より


  大名牟遅命、著玉日良(つくたまひら)姫の命と御婚して生み給える御子(『上紀』P181

(注記)著玉日良(つくたまひら)姫の命
  出雲風土記・神門郡朝山郷の条の前出・「眞玉著(またまつく)玉之邑(たまのむら)日売」は、さきの「またまむらひめ(眞玉邑日女)」と「つくたまひらひめ(著玉日良姫)」との合成神名であるか、逆に二つに分解して伝わったものか。

  朝山神社(出雲市朝山町) 祭神:真玉著玉邑姫命

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P68)より

(1) 蛤小貝比売の命
(うぶをがイひめ)
(注記)蛤小貝比売(うぶをがイひめ)
 出雲風土記・嶋根郡法吉郷の条に「宇武加(うむか)比売」とある。

 『出雲国風土記』(松江今井書店、加藤義成 校注、P23)より

(2) 天之活玉の命
(あまのいくたま)
またの御名ハ 活玉(いくたま)の命

(注記)天之活玉
 天神本紀にニギハヤヒの随神として、「天活玉(あまのいくたま)」。

(3) 天之三降の命
(あめのみくだり)
(注記)天之活玉
 天神本紀にニギハヤヒの随神として、「天三降(あまのみくだり)」がみえる。


 大名牟遅命の御子は181柱

(注記)
 日本書紀、地神本紀にオオナムチの御子神は総て181柱とあり合致する。
  スクナムヂの来臨(『上紀』P186

 
  スクナムヂの外津世に去る(『上紀』P213)

  幸魂(さきたま)・奇魂(くしたま)神の来臨(『上紀』P213)

 ここに 大国主の命 いたく慨(うれた)み たまイて 告りたまわく 未だ国造り敢エず いままだ 国造り完(お)エたる所 十足らず七つにあり
 
  国譲り(『上紀』P )





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『秀真伝(ほつまつたゑ)』の系図『上紀(うえつふみ)』の系図
大国主命のその時々の異名大国主命の父・天之冬衣の命と八十神の命大国主命の誕生
因幡の白兎大国主命の最初の遭難と復活大国主命の2度目遭難と復活紀の国への避難
素盞嗚尊の元へ須佐之男の試練・八十神の命を打つ
須勢理毘売(=田心姫)の御子八上比売の御子高津姫(神屋楯比売)の御子
越の沼河比売の御子眞玉邑比女の御子著玉日良姫の御子
スクナムヂの来臨・スクナムヂの外津世に去る・幸魂・奇魂神の来臨・国譲り



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